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ワールドカップ日本組織委員会総務局長
西沢 良之さん
(東京都新宿区百人町)

【略歴】富士見村生まれ。前橋高、東京教育大卒。1970年文部省入省。文化庁文化部長、東京学芸大事務局長などを経て、99年4月から2002年FIFAワールドカップ日本組織委員会に出向。

安全保障



◎根本的な議論が必要

 二○○二年六月三十日、横浜国際競技場、ドイツ対ブラジルの決勝戦が、2対0でブラジルの勝利で終わった時、われわれの2002ワールドカップもクロージングの瞬間を迎えた。

 競技場の夜空いっぱいに、全国の小中学生をはじめとする多くの人々が、平和への願いを込めて折ってくれた、二百七十万羽を超える折り鶴が降り注いだ。

 二○○一年九月十一日の米国における同時多発テロの発生という事態を目の当たりにし、一時は、大会の中止も含むさまざまな「危機対応」のシナリオを真剣に検討さざるを得なかった。また、大会の安全を確保するために、セキュリティー経費の大幅な上積みを余儀なくされた。

 そのような背景があっただけに、全競技を無事終了し、「夢の翼」が乱舞する姿を見た時、しみじみと平和のありがたさを実感したのであった。

 大会が終わって、早や八カ月がたった。この三月下旬には、アラブ首長国連邦でワールドユースが予定されている。また、日本代表チームによるアメリカ遠征も計画されている。しかし、それらにイラク問題をめぐる「戦争」の危機が立ちふさがろうとしている。

 たかが「スポーツ」ではないか、という主張もそのとおりだと思う。が、準備のために心血を注いでいる人々の胸の内を思い、代表として選ばれた選手や、真剣なプレーを期待している多くのファンのことを考えると、とても他人事とは思えないことも事実である。

 そして、戦争によって失われるであろう多くの尊い命のことを思う時、何よりも、問題が解決され、平和が達成されることを強く希望せざるを得ない。

 他方、隣国における、核開発やミサイル発射などの情報に接する度に、わが国自身の安全をどう確保していくべきかについて、真剣に、かつ具体的に再検討すべき時期にきていると実感する。ワールドカップを例にするつもりはさらさらないが、安全はただでは手に入らない。同盟国の「核」の傘の下で安全を保障されようとするのであれば、同盟国と、「平和」と「安全」に関する基本的な哲学を共有する覚悟と、コストの分担を受け入れることは必須の要件となろう。

 もし、それを望まないとすれば、実際に起こり得る「危機」に対処するための「実力」と独自の哲学とを構築せざるを得ない。そのためにも所要のコストと特別な覚悟(単純な二分法の議論は避けなければならないが、例えば、わが国が侵略され、人命や財産が蹂躙=じゅうりん=されても「無抵抗」により対応しようとするのか、自ら銃を持って戦うのかなどの覚悟)が必要とされよう。

 現行の日本国憲法の理念がそのままに現実化されることは理想には違いない。しかし、「今、そこにある危機」を前にしたとき、その見直しについてもタブー視することなく、わが国の安全保障について、根本的な議論をし直す必要があるように思う。

(上毛新聞 2003年3月19日掲載)