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日本児童文学者協会理事長 木暮 正夫さん(東京都東久留米市)

【略歴】1939年、前橋市生まれ、前橋商業高校卒。『また七ぎつね自転車にのる』で赤い鳥文学賞受賞。郷里に題材を得た作品に『時計は生きていた』『焼きまんじゅう屋一代記』『きつねの九郎治』などがある。

上州弁



◎ほしい「話し言葉辞典」

 やや下火になってきたものの、ここ数年、「日本語」に関する本がよく売れ、話題にのぼってきた。子どもたちや若い世代の言葉の貧困ぶりが問題になって久しく、このままでは古きよき美しい日本語が失われてしまう。その危機感のあらわれとみる向きもあるが、私はそれほどむずかしくは考えない。要は、日本語がおもしろいからで、ふだんは無関心のようでいても、私たちはそのなりたちや現状に関心を払わずにいられないのである。

 しかし、話題の「日本語本」も、子どもたちが学校の授業で毎日学習している“国語”も、共通語(標準語)が中心であって、方言についてはほとんどかえりみられていない。

 ところが、日常生活のうえではどうだろう。正式な読み書きはよそゆきの共通語でも、家庭や地域では辞典にはない地方特有のいわゆる方言が、話し言葉をより生き生きとしたゆたかなものにしてくれている。つまり、私たちは話し言葉において、「日本語の二重生活」をしているのだが、あまり気にもされていない。全国各地で、だれもがこの“二重生活”をなんなくこなしている。私は東京に出て四十五年になるが、子どものときにインプットされた「上州のお国訛(なまり)」は、いまだに抜けない。先日もタクシーに乗って運転手と二三、話をしたら、「お客さん、群馬じゃねえん?」といい当てられた。本人はもうすっかり東京の人間のつもりでいても、同郷の人にはわかってしまうのだ。方言は血である。

 だから、同級生たちと会おうものなら、ノーガードで上州弁を話す。

 同じ関東でも、群馬には他県にない独特のボキャブラリー(語彙=ごい)が存在する。「ショッペナシ」「ムテッコジ」「オコンジョ」「オヤゲネエ」「オテンタラ」「ソラッペ」「セッコウがいい」といった群馬ならではの言葉、他県の人にはまず理解不可能だろう。ちなみに、(1)は「くだらないこと」。(2)は「無茶・無鉄砲」。(3)は「いじわる」。(4)は「かわいそう」。(5)は「お世辞、おべっか、ヨイショ」。(6)は「うそ・虚言」のたぐい。(7)は「まめまめしく仕事に精をだすこと」。県外の出身者でこれが全問正解なら、テェした(たいした)群馬通である。私が他県人にたずねると、「オテンタラもソラッペも郷土料理」との答えが多く返ってきた。

 「上州のべえべえ言葉がなかったら、鍋やつるべはどうするべえ」というくらいだから、「そうだんべ、ああだんべ」「ああすべえ、こうすべえ」と、べえべえ言葉はいまも健在らしい。これがすべて消滅したら、上州の話し言葉は存在し得ない。

 数ある上州言葉のなかで、私は『アンジャーネェ』が一ばん好きだ。「案ずるに及ばねえ」の意で、薄っぺらな現代の共通語にはおきかえができない味がある。

 そこで、今回の私の提言だが、本紙の県内各地の読者から群馬ならではの上州言葉を寄せてもらい、辞典化してほしいこと。希望は“CD”付きである。

(上毛新聞 2003年3月24日掲載)