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野反峠休憩舎勤務 中村 一雄さん(六合村入山)

【略歴】六合村立入山中卒。理容師専門校卒業後、神奈川県平塚市で理容師となる。1974年、六合村に戻り、父とともに野反峠休憩舎を経営。環境省の自然公園指導員や県の鳥獣保護員を務める。

身近な自然



◎自分の目で見る楽しさ

 寒くて雪の多かった六合村でも、四月になると春があちこちで見られるようになりました。

 標高千メートルに近い根広地区に住む私のまわりでも、姿を消した雪のあとに、春の日差しを浴びてフクジュソウの黄色い花が風に揺れ、カタクリは日ごとにつぼみを大きくしています。

 季節は忘れることなく訪れ、自然は季節ごとのさまざまなドラマにあふれています。しかし、私たちは日常の生活を急ぎすぎて、身のまわりで繰り広げられている自然の営みを見過ごしてしまってはいないでしょうか。

 私たちは、テレビやインターネットから情報を入手する時代に生きています。自宅のテレビで尾瀬や北海道の自然はもとより、南極大陸や、海の中の自然まで目にすることができます。

 厳しい自然環境に生きる珍しい動植物の生態を、現地に足を運ぶことなく見られる手軽さは、便利で楽しいことですが、その半面、「これは遠い大自然の中で起きている出来事」と思っていました。

 最近は自分の身のまわりの自然の出来事に目を向けることを心掛けています。

 野反湖に注ぐ「西ブタ沢」は毎年、イワナの産卵が見られる、お気に入りの場所の一つです。

 水産庁の内水面保護条例で、魚類の捕獲が禁止されている「西ブタ沢」は、魚止めの滝まで一キロメートルに満たない小さな沢ですが、九月の下旬から野反湖のイワナが遡上(そじょう)を始めます。水温が下がる十月中旬から下旬にかけてペアリングが始まり、川底の小石を雌が尾ビレで掘り、産卵床をつくります。

 雄はその間雌に寄り添って、近づいてくる他の雄を追うのに懸命で休むヒマがありません。

 雄と雌が大きく口を開け、体をふるわせて産卵と受精が行われるその瞬間も、自分の子孫を残そうと別の雄が割り込みます。

 「西ブタ沢」で行われているイワナの産卵行動は、数種類のサケが産卵場所を求めて、川を埋め尽くすほどの規模で遡上し、さらにそのサケを灰色グマが追うという、アラスカの壮大な自然のドラマに比べると、とても小さな出来事です。

 しかし、スケールの大きさには関係なく、アラスカと同じレベルの生命誕生の神秘を、風の音や、空気や水の冷たさを肌で感じながら、自分の目で見る楽しさがあります。

 「西ブタ沢」のイワナの産卵は、私にとっての身近な自然の一例であり、誰もがタイミングよく見られるとは限りません。

 それぞれの人がそれぞれの感性で、近くの山や川に目を向けた時、限られた環境の中でたくましく生き、子孫を残そうとする動物や植物の営みを見つけることができるでしょう。

 身近な場所にある、ごく普通の自然の出来事に驚く気持ちを忘れずに、雄大な自然や珍しい動植物の情報を楽しみたいと思います。

 その中から、生物が生きていく方法の共通点や、その違いが見えてくるような気がします。

(上毛新聞 2003年4月10日掲載)