視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
県自然環境調査研究会員 松澤 篤郎さん(館林市富士原町)

【略歴】館林市出身。県立館林中学校、日本大学文理学部卒。東京大学理学部植物学教室留学。小・中学校で理科教師、小学校で校長を務める。現在、館林市環境審議委員、板倉町文化財調査委員。

里山の雑木林



◎再び子供たちの天地に

 かつて私の住む館林市西方の地帯は、アカマツを代表するクヌギ、コナラ林の雑木林が展開していた。冬季には赤城おろしの北西の風にアカマツ林の梢(こずえ)が大きく波うち、松風となり時にはうなり、時には心地よい子守歌にきこえ、林のふところにいだかれて育った思いがする。

 雑木林の林床に茂るササや下草は常に刈りとられ燃料に、落ち葉は堆肥(たいひ)に使われた。林床に春が訪れると、ヤマツツジやレンゲツツジが咲き競い、木々の若葉の芽吹きの中、シジュウカラの鳴きさえずる中を逍遙(しょうよう)したものだ。

 秋にはクリ拾い、キノコ狩り、そして雑木林は子供たちの天地だった。クヌギの樹液に集まるカブトムシ、クワガタムシが彼らの遊び相手であった。雑木林は私たち心のふるさとだった。五十年はさかのぼらない、少し昔の雑木林の姿だった。

 話を戻して、里山という用語がはっきりしない点があるので、里山とは何かについて触れてみたい。四手井綱英氏の著書「森に学ぶ」によれば、往時、農家の裏山の薪炭(しんたん)の生産、落ち葉や下木、下草の採取によって堆肥、木灰の生産、さらに農家の修理木材の生産、クリ、カキなどの食物や、マツ、スギ、コナラ、クヌギ、ヒノキなどの多様性の高い林になっていることが多く、すべて農家が農業に営むのに必要な物質生産に関係する林だった。そして、丘陵地に接して集落がつくられた。里山とは一応、農地に続く森林、たやすく利用できる森林地帯を指すという。

 高い山や暖地は別として、関東地方に多い里山の雑木林はクヌギ、コナラが代表する樹種なので、一般にクヌギ―コナラ林と呼ばれる。この林は薪炭林としてかつては重要であった。十五年から二十五年くらいに一回、木炭やたきぎとしての材料として切りはらわれる。切られて株からまた芽が生長してきて、次第にもとの樹の林へとかえっていく。その間、林床は下草刈りや落ち葉を集めて家畜の敷き草、堆肥の材料として農家では重要な資料であった。こうして人為的な管理によって、数百年にわたって繰り返されて、里山としての雑木林という姿が形成されてきたのである。

 ところが戦後、化石燃料、化学肥料の普及により、薪炭林として雑木林の木材の利用が激減。雑木林は放置され、人との共生関係は失われてきたと考えられる。ところによってはササが茂り、無残な枯れ木が横たわり、人の踏み入れないほどである。

 今、緑を取り戻そうと、公園づくりと植栽が行われている。それよりも本来五十年も八十年もの樹齢にまで培われたアカマツ、クヌギ、コナラの雑木林の樹々に目を向けて、これを生かすべきであろう。そこに集まる昆虫、野鳥、小動物、微生物にいたるまで、実に多様な生物のすみ家となっていて、豊かな生態系が存在するのである。かつて雑木林は子供たちの天地だった。再び、林の彼方に元気にはね回る子供たちの姿を念ずるものである。

(上毛新聞 2003年4月12日掲載)