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佐野短期大学社会福祉学科教授 日比野 清さん(館林市堀工町)

【略歴】東京生まれ。12歳の時に失明。明治学院大学、大阪市立大学大学院修了。社会福祉法人日本ライトハウス・視覚障害リハビリテーションセンター所長などを経て、現職。

バリアフリーとは(3)



◎他人への思いやりとは

 二回(昨年十二月十一日、今年二月十四日掲載)にわたって、バリアフリーやユニバーサルデザインに関することについて書かせていただきましたが、その後にも、このことに関連したことで、考えさせられる出来事がいくつかありました。

 確かに、人々はバリアフリーやユニバーサルデザインの考え方や、社会全体がその方向へ向かうことに反対はしないし、むしろ当然のことだと積極的に賛成してくださる場合が多いのです。しかしながら、特別なニーズ(必要なこと)のある人たち(高齢者や障害者・妊産婦や赤ちゃんを連れている母親など)のための優先座席や駐車スペースなどを全く無視したり、目の不自由な人たちのために敷設されている誘導タイル(点字ブロック)の上に、平気で駐輪・駐車させたりするのはなぜでしょうか? あまりの状況に見かねて、そのような人たちに「そこは障害者用ですよ! そこに駐輪・駐車すると目の不自由な人たちや子供たちに危険ですよ!」と注意すると、「ほんのちょっとの時間だし、気をつけているから大丈夫。このくらい構わないじゃないか!」とその場を立ち去ってしまうのです。その人がずっとその場にいるのであればいざ知らず、立ち去ってしまうのですから危険な事態になってもわからないはずなのです。

 ちょっと話は変わりますが、スーパーマーケットなどで、靴をはかせたままの幼児を買い物で使用するカートに乗せて買い物をしている母親に「そこは食べ物を入れるのですから、せめて靴を脱がせた方が良いのではないでしょうか?」と言っても、黙って立ち去ったり、「人のやることにいちいちけちをつけるな!」というような態度を示す人もいました。

 これらのことは極端な言い方をすれば、「自分さえ良ければなにをしても構わない」という考え方へと突き進んでしまいます。これでは社会全体が、子供・高齢者・障害のある人・すべての個人が人間として尊ばれ、共存していく(共に生きる)社会がノーマル(当たり前)であるというようなノーマライゼーションの方向へは到底進むはずがありません。ノーマライゼーションがすべての人たちに共通する考え方であるならば、まずもう一度、社会生活を営んでいく人間にとって何がもっとも大切であり必要なことなのかを考え直さなければいけないのではないでしょうか?

 これは福祉の思想とか、福祉の理念や理論というものではなく、当然のマナー・他人に対する思いやりということだと思います。言い換えれば、子供のときからのしつけの問題であり、さらには人間としての感性だといえるでしょう。あなたももう一度、考えてみてください。

(上毛新聞 2003年4月17日掲載)