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国立長岡技術科学大学副学長 西沢 良之さん(東京都新宿区百人町)

【略歴】富士見村生まれ。前橋高、東京教育大卒。1970年文部省入省。文化庁文化部長、東京学芸大事務局長などを経て、2002年FIFAワールドカップ日本組織委員会に出向。今年4月から現職。

E君への手紙



◎物事は成るようになる

 四年間働いた、ワールドカップ組織委員会を退職し、この四月一日から、新潟県長岡市にある国立長岡技術科学大学に勤務しています。今までとは全く異なる仕事です。そういう意味では、私も一年生です。

 日本では、小学校への入学をはじめ、ほとんどの学校は、四月に始まります。そして、学校を卒業して社会人となる人、会社を定年退職され、第二の人生を歩き始める方々もこの時期が区切りとなることが多いようです。

 このE君への手紙は、私自身へも含めて、新しい人生を始められる方々への連帯のメッセージになればと書かせていただいたものです。

 「E君ご就職おめでとう。夢のような満開の桜が終わる間もなく、青葉が目にまぶしい季節になりました。希望どおりの進路に進むことができ、新しい社会人として歩き始めた君の姿を想像し、思わず胸が熱くなりました。

 配属や仕事の内容は、研修が終わってからということでしたが、決まりましたか。大学では、単位の取り方やゼミなども、自分が選択し、努力すれば、実力次第で希望が実現するのが当然という世界にいました。しかし、実社会は学校とは違います。

 俗に『人事はひとごと』と言われるように、君の人事を決めるのは君ではありません。ある日突然、上司から『君の人事はこうなったよ』と言われ、自分が思ってもみなかった部署や職務内容を告げられるのが普通です。自分では最も不向きだと思っていた仕事を命じられるかもしれません。いやなら辞めるということで良ければ問題はありません。簡単には辞められないから困るのです。

 また、希望どおりの仕事につけたとしても、すべてが順調にいくとは限りません。むしろ社会はどうもその逆にできているようです。自分がベストと信じた案が上司のところでずたずたにされ、意に沿わない業務の実施を命じられる等は日常茶飯事だと思っていた方がいいかもしれません。

 いろいろな壁が君の前に立ちふさがり、もうどうにもならないと絶望感に打ちひしがれることがきっとあると思います。そんな時、思い出してほしい言葉があります。私の若かりし日の韓国大使館時代、そうした「出口無し」という事態の時に当時の須之部量三大使が良く口にされていた言葉です。

 『物事にどうにもならないということはありません。物事、必ず成るようにはなります。また、成るようにしかならないものです。だから、自分なりに努力すればそれでいいじゃないですか』

 書いたもので頂いたわけではありませんから、このとおりであったかどうか、確かではありません。しかし、人生の危機に立った時、柔和な大使の風貌(ぼう)とともに思い出され、幾度となく、出口を見つけるのを助けられた言葉です。ささやかなプレゼントとして受け取っていただければ幸いです」。

(上毛新聞 2003年5月5日掲載)