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まちづくりコンサルタント・コモンズ主宰 庭山 由紀さん(桐生市新宿)

【略歴】日本大大学院博士後期課程修了。農学博士。一昨年はオリジナルカレンダー「桐生楽暦」や目的別地図「桐生楽地図」を製作するなど快適な桐生暮らしを追求。県一郷一学の講師なども務める。

何で勉強するのか



◎だまされないために?

 勉強は何のためにするのだろうか。このような問いは、誰でも一度は持つ疑問だろう。特に、勉強することが苦痛になった時、よく思うことではないだろうか。

 私にとって、勉強は苦痛だった。そんな時、「私が経済学を勉強してきたのは、経済学者にだまされないためだ」というアメリカの経済学者の言葉にはっとした。だまされないために勉強する。これほど勉強の目的を明確にさせてくれた言葉はなかった。

 例えば、各科目を振り返ってみよう。「国語」は読み書きの勉強。これができなければ、証書や法律を知ることができず、だまされやすいこと請け合い。また、自国の文化のルーツも知ることもできず、ラブレターも書くことができない。「算数・数学」で学ぶ計算などは、機械に任せておけば大丈夫なんて思っていないか。機械が壊れていたり、あるいは悪意で機械が細工されていたらどうするのか。自分で計測し、計算し、確認できることが重要だ。「理科」は自分が生かされている自然(多様な自然界の生物や物資とその構造、また宇宙空間に至るまで)を理解することによって、自分と自分を取り巻く人間社会が、自然とどのようにかかわっていくべきかを考えることができる。自然環境への配慮や、物資は循環するという自然の理が欠如したまま行われてきた開発は、まさに「理科」の不十分な理解から発しているものと思われる。「社会」は、私たちを取り巻く人間同士のやりとりやルールを理解し、これまでの異なる社会同士の変容の歴史を認識する上で重要だ。自分の存在を認めてもらうためには、まず自分のことをよく知る必要があり、それと同時に他人の存在をも認め、お互いに理解しようとする姿勢が大切である。そしてだまされないために、一冊の書物だけで判断するのではなく、複数の書物、できれば認めるべき相手の国や地域の書物も読む必要があると思う。

 また受験勉強にはほとんどかかわりのない科目「体育」「音楽」「図工・美術」「家庭」は、だまされないためにする勉強とは異なるが、生活していく上で重要であると同時に、世界の人たちと楽しみ合えるものだ。私がそれに気づいたのは、第三世界と呼ばれる国々を旅した時だった。言葉が通じなくてもスポーツを楽しめたり、歌を歌えたり、絵を描いたり、ものを作ったり、料理を作ったりすることで交流することができ、友達ができた。

 それでもやっぱり、勉強はつらいものだ。しかし、特に義務教育期間に勉強することは、だまされないために、友達に出会うために、楽しく生きていくために重要である。また勉強をしていく上で、難解な問題が解けた時の快感、すてきな本や言葉に出合った時の感動、師や学友との時に白熱した論戦のおもしろさは格別だ。

 さて、あなたはなんで勉強するのですか? こんなことを自問自答しながら勉強するのも、おもしろいのではないかと思うのだが。

(上毛新聞 2003年5月12日掲載)