視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
前群馬町立図書館長 大澤 晃さん(群馬町中里)

【略歴】高商から国学院大学。桐高、前工、前女とめぐり、前南で定年。群馬町立図書館の初代館長として、七星霜、その運営にたずさわる。現在は町の文学講座(古典と現代文)の講師。

図書館と書店



◎読書にとって車の両輪

 「つひにゆく道とはかねて聞きしかど きのふ今日とは思はざりしを」と詠んだのは在原業平(ありわらのなりひら)であるが、彼でなくても人はすべて必然的に別れの時を迎える。

 仏式で数人の僧侶が奉仕する時、その中の一人が細長い経典を扇のように開いたり、閉じたりしている姿を見かけたことがある。死者への読経なのだが、時間を節約して、読む姿勢だけを示しているのだと聞いている。

 その姿から、次のようなことを連想してしまう。毎日、何回となく、書架や書棚の前を往復しているうちに、何げなく、目に入る本の背表紙が内容や主題を思い出させてくれるのと少し似ていると思う。相当なスピードで、本のページを潜り抜けるかと思うと、時には、ゆっくりと鮮やかによみがえり、記憶につなげてくれる。それに加えて、まだページを開いていない多くの本は「まだ読まないのか」と迫ってきたり、また「読むまで待とう」と誘いかけてくる気配は、さながら、ホトトギスに対する三武将(信長・秀吉・家康)の如く、さまざまである。

 時間と空間を超えての知識や情報の集積が読書であるならば、収集した情報は分析と記録を通して、活用されるまで、何らかの形で保存しておく必要がある。しかし、図書館の本は二週間で返却しなければならないし、手元にないと忘れてしまう。それに図書館では、受け入れる本については、ある程度の制約と厳しい基準を設けているので、その分、安全性は保証されるが、自分で本を選ぶ能力を養成するには、図書館の本だけでは適切さを欠くと考えた方がよい。

 日本で年間に発売される本は約七万点(十三億冊)で、図書館の購入は、そのうちの1・3%といわれている。県立図書館の『群馬県の図書館二○○二年版』によれば、県内の公立図書館(約四十館)の年間購入冊数は約三十二万冊で、寄贈等を加えて三十八万冊となっている。しかし、さらに細かく算定すると、市部の平均は一万七千冊になり、町村部では五千冊となる。しかし、この数字は年を追うごとに厳しくなるものと推定される。

 この冊数からも分かるように、新刊書の大部分は図書館の選定基準と資料費の制約の間を擦り抜けて、書店に並んでいると考えられる。しかし、その書店が、毎日、三店舗、年間にして千店も姿を消していくという。販売量の減少に加え、郊外に大型店、市内に新古書店の進出、それに万引による被害(年商の1―2%)等が経営を苦しめているようである。このことは利用者にとっても、見過ごすことのできない事態だと思われる。

 歩いて十五分までの所にある図書館が理想的であるならば、書店についても同じことが言えると思う。書店が近くにあれば、車は不要である。顔なじみなので、日常の会話を通して、出版情報等を提供してもらえるだけでなく、注文はもちろん、信用貸しや配達までしてくれることについては感謝のほかはない。

 読書にとっては、図書館と書店は車の両輪のようなもので、この両者をうまく活用させてもらうことが、必要な条件だと思っている。

(上毛新聞 2003年5月16日掲載)