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県保護司会連合会長 若槻 繁隆さん(伊勢崎市茂呂)

【略歴】大正大学文学部卒。1952年から、保護司、高校教諭として活躍。88年、太田高校長で定年退職。退魔寺住職として前橋刑務所教誨(かい)師を務め、受刑者への説話を続けている。

たばこと女子高生



◎鉄は熱いうちに打て

 初めてたばこを口にしたときは、少しもうまいとは思わなかったが、唾(つば)を吐きながら度重ねているうちに、むせなくなり、煙が気管を通過していくのである。そして、たばこをやめなかったのは、ただ何となく大人の仲間入りができたような気持ちがあったような気がする。それからは惰性で続けたのであるが、五十歳に手の届く寸前から一念発起して六年ぐらいやめていた。ところが、周囲の煙の魅力に抗しきれず、再び煙の世界に突入してしまったが、煙は何の抵抗もなく気管を通過していった。ただニコチンのためか一時クラクラしただけである。

 再び禁煙をしたのは六十歳前後で、たばこの害が社会的に問題になってきつつあったころで、命とたばこの取り換えはごめんと、いささか後ろ髪を引かれる思いで、未練があったことは事実だが。そして今でも他人がおいしそうに吸っているのを見ると、うらやましくもあり、吸いたい欲望が起こる。でも吸わないでいることが「つらい」と感じたことがないのは不思議である。

 それかあらぬか、最近は女性の喫煙が目立つような気がする。くわえたばこで車を運転したり、駅のホームに立つやいなや、即座にライターとたばこを取りだし、待ってましたとばかり…。でも口からだけでなく鼻から勢いよく噴出する姿は、せっかくの美人もあまりいただけないような気がする。

 時には駅のホームで、明らかに高校生の服装でこれ見よがしにやる男子もいたが、彼らも一生懸命に背伸びをして大人の仲間入りを誇示しているのかもしれない。そして先日、ウイークデーの午前九時ごろ、ある店の中でそこの主人と話しながら外を見ていたとき、女子の高校生が相向かいにあるたばこの自販機にお金を入れて購入する姿が目に入ってきた。彼女は出てきたたばこを自転車のかごにいれ、われわれのほうを見ながら、悪びれもせず悠然と学校の方向に行ってしまった。そういえば、土手の自転車道をくわえたばこで登下校する男女の高校生は結構たくさんの人に目撃されているのである。

 昭和三十年前後の高校では、喫煙一回目は一週間の家庭謹慎、二度目は無期謹慎、三度目は自主退学というのが当たり前のようであったと聞いたが、いまはどんな指導がされているのであろうか。もちろん三度目までいったという者は聞かないが、厳しいと言われればそうかもしれない。しかし、先生方もそれに至らないようにこまめに指導の手を入れていたことが伝えられていた。

 また、ある女子高校の卒業していく生徒に学級担任が、別れの訓示の中で「たばこを吸うなとは言わないが、吸うなら子供を産み上げてからにしなさい。自分だけの嗜(し)好のために、自分にとって掌中の玉とも言うべき大切な子供に悪影響を与えないために」と言ったところ、それが効いたのかどうか、後日の同窓会のおりに、喫煙をしている者はほとんどいなかったということである。古人が「鉄は熱いうちに打て」と言っているが、けだし名言である。

(上毛新聞 2003年5月22日掲載)