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山田かまち水彩デッサン美術館館長 広瀬 毅郎さん(高崎市片岡町)

【略歴】学習院大卒。東京銀座で画廊修業の後、高崎に広瀬画廊を開く。1992年に山田かまち水彩デッサン美術館、98年、滋賀県に建築家、安藤忠雄さん設計の織田廣喜ミュージアムを開館する。

高崎高・翠巒祭



◎意義深い山田かまち展

 高崎高校第五十一回翠巒(すいらん)祭が六月七日、八日に開かれます。今年は三年前の翠巒祭での「山田かまち展」に続いて二回目の「山田かまち展」となりますが、当時の生徒は全員卒業しており、今回は新しい十人の生徒によってかまち班(土屋裕一班長=三年)がつくられ、“俺の感じた山田かまち”をベースに新しいスタイルのかまち展が企画されています。演出、展示、広報とそれぞれの分担について夜遅くまで話し合いが続いているとのことで、成果が期待されます。

 前回よりも、もっとかまちの生き方そのものを身近かに感じてもらいたいということで、今回は彼の使っていた絵具、パレット、筆、スケッチブック、文房具、レコードなどが多数展示されることになりました。

 高崎高校は一九七七年四月から八月まで、わずか五カ月ですが、山田かまちが通学した学校であり、彼が授業を受けた教室で後輩たちによって自主的に「山田かまち展」が二回も開かれることは、意義深いものを感じます。

 かまちが吹かれた同じ風の中で、かまちの作品を見ながら十七歳を生きるということ、十七歳で死ぬということ、自由と束縛、成功と挫折、芸術と生活、自信と不安など、かまちが直面した諸問題について、かまちが座った椅子に座って、友達と本音で話し合ったり、一人でじっくり考えてみたり、そんな場になってほしいと願っています。

 高等学校の文化祭などでの「山田かまち展」について、かまち美術館としては彼の代表的な絵画(プリーズ・ミスター・ポストマン、青い自画像、逃げる女、ルーシー・インザ・スカイ)など十一点のレプリカ(複製画)をつくり、これにかまちの写真、略歴、かまちという名前の由来、詩文、著名人(なだいなだ、俵万智、辻仁成、氷室京介)の山田かまちへのメッセージなどをパネルにして、合計二十五点を一組として無料で貸し出しています。条件はただ一つ、美術館まで取りに来てもらい、終ってから届けてもらうことだけです。作品は一点一点、段ボールの箱に入っていますので、普通乗用車のトランクと後部座席に入ります。三年前のかまち展の時は翠巒祭はあくまで生徒主導ということで、園芸部のリヤカーを洗って毛布を敷いて取りに来ました。今年のかまち班も夜逃げ屋本舗で作品を運びにきますと言っていました。

 この二、三年の間でも長野の上田高校、都立北園高校、神奈川の川崎工業高校、藤沢翔洋高校、埼玉の川越西高校などで生徒会主催の「山田かまち展」が開かれ、それぞれ大きな感動が残ったと聞いております。

 文化祭、学園祭での「山田かまち展」については気軽にかまち美術館まで問い合わせてください。

(上毛新聞 2003年6月2日掲載)