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前橋工科大教授 樫野 紀元さん(さいたま市高鼻町)

【略歴】大阪府生まれ。東京大工学部助手を経て、国土交通省建築研究所入所。同研究部長を務め、2001年4月から前橋工科大工学研究科教授。著書に「日本の住宅を救え」などがある。

よいモデルに



◎全体をよくするために

 人は、幼少時から十二歳までの間に見聞きし体験したことを、生涯の価値観として身につけるとのことです。

 個人的なことで恐縮ですが、一九八五年から八年間、私は日本アセアン科学技術協力プロジェクトの責任者を仰せつかっていたので、東南アジア諸国を訪問する機会が数多くありました。ある時、某国に滞在中、次のような話を聞きました。

 …この国の首都には国民の約一割の人たちが水上生活を送っている。水上生活者といっても裕福なので、ヨーロッパ製高級車を川縁に置き、桟橋伝いに川に張り出して造った家に帰る。粗末に見えるが、どの家も家電製品があふれ、立派な応接セットが入っている。お金持ちの王様は、バラックの集落は外見上みっともないので、新たに住宅地を用意し、彼らに土地と家を与えて住まわせた。でも半年ほどで、全員が水上生活に戻ってしまった。

 この現象は世界中の心理学者にとって、格好の検討対象になった。結局、小さいころの体験が彼らの価値意識となっていたため、水上が懐かしく、皆戻ったのだと解釈されたらしい…。

 最近、清潔感あるさわやかな若者がめっきり減ったように思われます。中高生の多くは、粋がっているのかもしれませんが、土ぼこりのついた服をいまにも脱げそうに着て、電車内では、わが物顔に座席を占領し、言葉も荒々しく仲間とふざけ合います。周辺に不快を与えても、全く意に介する様子はありません。彼らのモデルは、原体験は一体どのようなものであったのでしょう。

 今の日本、政治家や官僚の不祥事が相次ぎ、企業の不正は後を絶ちません。一部の人たちと言いたいのですが、利権を求め保身に汲々(きゅうきゅう)とし、口をついて出るのは稚拙に聞こえる言い訳ばかり。自分より立場が低いとみるや、ひときわ横柄に振る舞う大人が、とても多いように思われます。

 高齢の有名人による討論会をテレビで見ました。著名人といえども、誰かが発言中、それに覆いかぶせるように声を張り上げて、自らを誇示するという人が大半でした。感性を刺激する意見も聞かれず、殺伐とした気分になるだけの番組でした。

 外国のパーティーでは、見知らぬ者同士が言葉を掛け合います。そして、パーティー全体の楽しみのポテンシャルが高まった中で、個々人が真に楽しみます。

 日本のパーティーでは、知らない者同士は、まず口をききません。知人を見つけると急いで寄っていき、昨日のゴルフはどうだったなどと言い合い、大きな笑い声をあげたりします。自分が属する集団や地域、すなわち小社会の中では互いを思いやり、じゃれ合い、傷をなめ合いますが、その一つ外側のことには、なかなか思いがいかないようなのです。

 公の空間でも他のことには全く配慮せず、目先の満足だけを追い求めるというのでは困ります。

 冒頭の法則によれば、今日の多くの大人たちが、将来を背負って立つはずの子供たちに対して、極めて悪いモデルになっているのかもしれません。これでは、子供たちがよいマナーを身につけられるはずがありません。

 今、私たちが心掛けることはただ一つ、他へのよいモデルになるよう努力することです。老若男女を問わず、自分や自分が属する小社会だけではなく、その周辺の環境全体をよくするために何をなすべきか真剣に考えることです。そして、よかれと思ったら直ちに行動です。日本全体をよくし、ひいては世界に貢献するためにも、このことを実行する。これに尽きると思います。

(上毛新聞 2003年6月23日掲載)