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郷土史研究家 大塚 政義さん(富岡市中沢)

【略歴】法政大学卒。県教育史編さん委員、文化財調査委員などを歴任。水戸天狗党と下仁田戦争、国定忠治、天野八郎などの歴史研究、執筆に取り組み、1984年度上毛出版文化賞を受賞した。

土方歳三



◎最後の武士道感じる

 京都の歴史館を訪ねた。幕末・維新の資料の中で、新選組に関するものが多い。中でも剣に生き剣に死んだ男、土方歳三の誠に殉じた生き方に人気が集まっているという。

 最後まで抵抗した佐幕の鬼、土方歳三が時代を超えて愛される魅力とは何か。最期まで佐幕に殉じた歳三の辞世は「たとえ身は攘夷の島根に朽ちるとも魂は東の君やまもらん」で、東の君とは徳川慶喜である。

 歳三は新選組の副長として、常に隊長の近藤勇を補佐した。憎まれ役に徹し「局中法度」を定め、士道不覚悟で組織を乱す者を成敗した。京都の活躍が郷里に伝えられると「あのやさしい歳さんが!」と村人は驚いたという。

 近藤隊長を盛り立て、副長としての自分の任務をよくわきまえていた。

 鳥羽・伏見の戦いでは、抜刀して斬り込む隊士は薩長の銃弾にバタバタと撃ち倒された。

 「もう槍(やり)や刀では戦などできん」と漏らしたという。近藤亡き後は、その卓越した指揮能力で官軍を悩ませた。後の箱館戦争では小銃隊を整備し、徹底した射撃攻撃で官軍を敗走させた。歳三は剣鬼であるとともに、合理主義者でもあった。戦いに明け暮れた短い生涯は、常に死地を求めて流浪した。「いかに死ぬか」という武士道そのものである。ギリギリの生き方にも、歳三の人間味を感じさせる逸話が残されている。

 俳句を嗜(たしな)み、こんな句がある。「報国の心を忘るる婦人かな」。殺伐とした京洛(けいらく)にあって、郷里の知人に自分がいかに女性に慕われたかを実名をあげて自慢している。鬼副長としては想像もできず面白い。

 会津戦争において、若い白虎隊士たちと語り合い、京都での出来事や、日本や世界の動きなどを語り、隊士たちは目を輝やせて身を乗り出して聞き入ったという。歳三の魅力はどこにあるのだろうか。残されている写真は、黒い髪がふさふさとして、目はパッチリと引き締まり、洋服を着た姿はなかなかの美男子である。日野市の石田寺にある墓所には圧倒的に女性ファンが多い。

 歳三は新選組のナンバー2として近藤を支え組織の強化に努め、最期まで佐幕の鬼としてその節操を曲げることなく、戦死するその時まで信念を貫き通した。

 歳三の最期は、一人官軍の陣地に馬を進めていき、歳三を軍使と判断した官軍の兵士は用件を糺(ただ)した。歳三は「新選組の副長が参謀府に用があるとすれば、斬り込み以外あるまい」と叫んで、二、三人を斬り倒し、一斉銃火を浴びて馬からもんどりうって落ちた。三十五歳の生涯であった。

 近藤亡き後の歳三は「いかに死ぬか」と死に場所を求めて激しい戦を繰り広げた。歳三の短く、壮絶な生きざまは、最後の武士道を感じることができる。そこに幕末一のヒーロー、土方歳三の姿がある。こうした一徹な生き方に男のロマンを感じる。

(上毛新聞 2003年6月30日掲載)