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柴山建設代表 柴本 天二さん(草津町草津)

【略歴】長野県延徳村(現中野市)出身。延徳中卒。群馬建築士会理事、吾妻流域林業活性化センター木材利用促進検討部会長、県木造住宅産業協会理事などを歴任。草津温泉の旅館などを多数建設。

自然と伝統工法



◎つながり大切にしたい

 昔の山あいの農業は、荷物を背負ったり抱えたりして大変だった。そのため、田畑は身近な所に必要で、高台には畑、くぼ地には田んぼがあった。田んぼをつくるにも、水の足りない所には遠くから水を引く水路をつくり、谷間に堤を設けて棚田を設けた。田畑をつくるために石垣を積み、斜面の畑のさくも横に切って保水を図っていた。今は機械化農業に変わり、さくも樋(とい)を縦に並べたように高い所から低い所へと切り、水も流れ放題。保水もできない、やせた堅い畑になってしまった。

 環境を考えず、肥料も金肥。目先のコストや、できるだけ楽をしたいという考えが今も続き、“目先人間”をつくる原因になっている。なかにはものにこだわりのある人もいるが、自然環境にもっと気を使ってほしい。農業も工作物をつくる方法もつながりがある。社会はさまざまな家庭で構成されている。思いやりを教える家族の構図も、その社会の仕組みも、時代とともに同じように変わり、すべてが自然の中の積み重ねであることを忘れてしまった。

 以前、県庁前の河川の氾濫(はんらん)で車が流れてしまった。予期せぬ出水とされていたが、本当に予期できなかっただろうか。その時、吾妻川の出水も、農業の仕方や道路や側溝も悪いといった状況の中で、自然の流れだった。

 日本は斜面の多い国だ。昔の棚田や畑は、浄水場といわれていた。今、棚田で活性化を狙っている青年たちとダム建設予定地の青年たちが自然について話していた。斜面につくられている棚田は、石垣の裏ごめの小石、つめた土などを含め、清流をつくる役割をしているのだという。そのような役目、役割の擁壁も、コンクリートに変わった。そのような工法の改善、改革も洪水の減少につながると思うが、自然が失われてしまう。道路の舗装や側溝に水のはけ口のないような材料を使用している今、ヨーロッパの道路や広場の石畳などを参考にして、工法に知恵を絞ってほしい。

 昔の生活の場や道路は川辺から始まり、村や宿場が町になった。道の脇に小川や水路を設けたところが、昔は多くあった。その小川や水路の縁は大低が石積み。すべてが自然に対する思いやりのある工法だった。例えば、石垣の積み方にしても、家族に例えれば大きな石のおじいさん石、お父さん石を、おばあさん石、お母さん石が支え、子供石、孫石が裏ごめになって土を抑える。コンクリートを使わない空積み型の石垣は、周りの自然に配慮した優しい工法だった。

 石を積み、小川のふちには植樹があり、心安らぐ木立と癒やしを与えてくれる木陰をつくる。そのような形態が街道筋の町づくりだった。そんな町づくりなら、ダムなどいらない。小さな堤、堰堤(えんてい)をたくさんつくってもいいのではないか。環境保全と地域環境につながる伝統的工法、建物も家族に例えれば、基礎石、土台は先祖、長者柱はおじいさん、手をつなぐ梁(はり)はおばあさんとお母さんを中心とした家族、大黒柱は一家を守るお父さん、入り口で手をつないでくれてる大貫もおばあさんとお母さん。壁や明かりを照らす窓は、心をつなぎ家を守っていってくれるかわいい子や孫というような、いろいろなつながりがあった。家族や社会には人と人の心のつながりがある。

(上毛新聞 2003年7月4日掲載)