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郷土史研究家 大塚 政義さん(富岡市中沢)

【略歴】法政大学卒。県教育史編さん委員、文化財調査委員などを歴任。水戸天狗党と下仁田戦争、国定忠治、天野八郎などの歴史研究、執筆に取り組み、1984年度上毛出版文化賞を受賞した。

小野小町



◎各地で語り継がれる

 小野小町はクレオパトラ、楊貴妃と並び称せられ、世界の三大美女として名を挙げられ、「○○小町」と呼ばれ、昔より美人の代名詞としてその名を語り継がれている。

 百人一首に「花の色はうつりにけりな いたづらにわが身世にふる ながめせしまに」の歌が残されている。才色兼備の女性であったといわれている。

 先日、小町が住んでいたと伝えられている京都の随心院を訪ねてみた。小町ゆかりの遺品や逸話が数多く残されている。小町に届いた手紙を下張りにして作った文張地蔵尊像や、千束の文を埋めた文塚、化粧井戸などもあった。残念ながら、深草少将の通った小路はなくなっていた。

 茨城県の新治村北部の小野地区には小町伝説が残されている。同地区には小町の墓といわれている五輪塔や、休息を取ったと伝えられる腰掛石も残されている。小町終焉(しゅうえん)の地としての伝説がある。

 山形県雄勝(おがち)町小野地区は、小町が生まれた所として小町関連の史跡が多く、向野寺は小町の菩提寺といわれ、小町の自作といわれる木造の自像が安置されている。毎年六月に小町堂を舞台に行われる「小町まつり」では、平安の昔へタイムスリップさせてくれる。

 また、福島県の小町温泉にも「小野小町生誕の地碑」が建てられている。

 さて、富岡の小野地区にも、こんな小町伝説が伝えられている。小町が年を取ってから、故郷の出羽の国に帰る途中、小野の里を通りがかったのである。ところが、この地で眼病を患い、病気快癒(かいゆ)を願い、庵(いおり)を建てて仏道修行に励んだという。

 小町が薬師像を納めて千日の祈願をしたという薬師堂が、今でも鏑川のほとりに建っている。「瑠璃光殿」という額も掲げられている。塩俵を供えて回復を祈念したところから、土地の人たちは「塩薬師堂」と呼び、小町伝説を今に伝えている。

 また、小町が朝夕に使ったという化粧の井戸も残されている。この井戸で顔を洗って、若いころの美しさに返ったといわれている。この井戸は、どんな日照りにも乾いたことがないという。小町の住んでいた跡地に建つ、小町山得成寺には、美女小町のふすま絵と老いたる小町像が寺宝として伝えられている。

 ある日、小町が塩薬師にお参りに行った帰り道、川が増水したため、岩平の方を回って庵に帰ってきた。小町が回ってきた辺りを「廻(まわ)り平」といい、土地の人は「まんだら」と呼んでいる。また、この道にかかっている橋を「まんだら橋」と呼んでいる。ほかにも小町が抜髪を埋めたという「小町塚」などもある。

 やがて、病もすっかり回復した小町は、再び出羽の国を目指して旅立っていった。出羽の国へ帰った小町は、世を避け、自像を刻んで九十二歳で亡くなったと伝えられている。

 各地に語り継がれている、こうした小町伝説は、その土地にすっかり溶け込んで定着している。これからも受け継がれていくことだろう。伝説とは、その土地の人たちのエネルギーである。真偽はともかく、歴史にロマンを感じて面白い。

(上毛新聞 2003年8月5日掲載)