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県保護司会連合会長 若槻 繁隆さん(伊勢崎市茂呂)

【略歴】大正大学文学部卒。1952年から、保護司、高校教諭として活躍。88年、太田高校長で定年退職。退魔寺住職として前橋刑務所教誨(かい)師を務め、受刑者への説話を続けている。

自転車と中・高校生



◎自ら品格落とさないで

 時折、家人に「背中が丸い。老人臭くて(事実、老人であるが)、人に不快感を与え、みすぼらしく見える」と注意され、不承不承、背中を伸ばそうとする。子供の時は背が大きかったので、のらくろ漫画の「デカ一等兵」とからかわれ、何となく背の大きいことが罪深いような錯覚を持ったのか、自然と背中を丸める傾向があり、「胸を張れ」と親に注意されたことが、何度となくあった。

 そんなことを思いながら、中学生や高校生を見ると、なんと高校生、とりわけ男子生徒が自転車で背中を丸めて、一見くたびれ果てた姿で登下校しているではないか。とりわけスピードを出そうとして、空気抵抗を少なくしているわけでもなく、至極のんきそうにフラフラとこいでいるのである。ハンドルの位置がそうなのか、サドルの状態が悪いのか、気を付けて見るが、そんな様子はないようである。丸くなる背中を、さらに一層丸めようとしているように感じる。

 そして、自転車から降りると、それが流行かもしれないが、落ちそうなズボンですそはかかとで踏みつけ泥塗れである。あの状態で教室に入り、校舎内を歩き、家の中に入るのかと思うと、彼らのいるところは内外の区別がないのではないかと思われるし、不潔極まりないのではなかろうか。もちろん、これらはほんの一部に過ぎないのであって、大方の生徒はきちんとしているのであるが、あまりにも目に付くのである。ことによると、わざと目に付くようにする彼ら一流のファッションであるのかもしれない。しかし、あの姿はあまりにもいただけたものではないし、また非衛生的でもある。そして、何となく将来が思いやられるような気がする。でも、そう思うこと事態が老人になった証拠であると言われるのかもしれない。

 いずれにしても、人の品格が言葉を伴わないで、まず人の視覚に入ってくるのは服装、態度だろう。流行を追うのもよし。しかし、自分から品格を落とし、ひんしゅくを買うようなことは、心して自戒しなければならないし、常に心に問う姿勢が大切であると思うのである。時折、中学生が集団で自転車に乗り、体育衣の姿でさっそうと行く姿に会う。彼らは楽しそうにおしゃべりをしているが、その先頭を走る一人が、すれ違う見ず知らずの私に大きな声で朝のあいさつを投げかけてくると、ほかの者も一瞬話を止めて、次々にあいさつをするのに何度も出合ったことがある。実にさわやかな生徒たちで、さぞかし校内の指導も行き届いているのだな、と感じたものである。昨今の十二歳中学生による残虐非道な事件とは、本当に「月とスッポン」であると思われると同時に、このまま素晴らしい大人に成長してほしいと心から思い、明るい気持ちで朝の日課を済ませるのである。

(上毛新聞 2003年8月12日掲載)