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東洋大学国際地域学部教授・学部長 長濱 元さん(東京都西東京市住吉町)

【略歴】北海道旭川市出身、北海道大卒。文部省、経企庁、信州大などで行政、調査研究、教育に携わる。1997年より東洋大教授。専攻は社会学と政策研究。研究課題は科学教育システムの国際比較。

アイデンティティー



◎内圧に起因する弱体化

 最近の日本人は「価値の多様化」と呼ばれる状況の進行下で、個人レベルでも、集団(家族、地域、職場)レベルでも、あるいは国民(民族)レベルでも「アイデンティティー(自己認識、帰属意識)」が弱体化し、「浮草」のような状態になってきたといわれることも増えてきました。

 その背景には、日本だけではなく世界的(特に先進諸国)な共通性も見えるようです。ここ二百年の間を歴史的に見ると、日本では明治維新(封建社会から近代社会へ)、第二次世界大戦後の維新(軍国主義から民主主義へ)という二つの大きな転換期がありましたが、いずれも海外の圧力による巨大で明確な価値観の転換でした。しかし、現在日本が直面している価値観の転換の要請には、もちろんグローバル化という外圧もありますが、日本社会が自ら生み出した要因(内圧)の影響がむしろ大きいように思われます。

 とりわけ崩壊が激しいのが、人間集団の原点である「家族」です。最近では「弧族」と呼ばれることもあるほど、バラバラ化が進んでいるといわれてもいます。第二次世界大戦後、日本人がこぞって追い求めてきた「自由」と「豊かさ」の実現が、日本人の「アイデンティティー」に最も大きく深刻な影響を与えているのがこの部分でしょう。

 第二次世界大戦(太平洋戦争)に突入することによって、決定的に失った「自由」と「豊かさ」を取り返すために、あらゆる苦労をいとわなかった戦後第一世代は、「このような苦労は子や孫には決してさせまい」と、子である第二世代には「平和と(仲良し)民主主義」を旗印として子どもたちのために一生懸命「良い目」にあわせようと努力してきました。

 そして第二世代は、その子どもたちである第三世代に対して、次第に経済的に豊かになってきたこともあって、さらに輪をかけて子どもたちを豊かで幸せに成長させようとしてきたことは言うまでもありません。それは一見素晴らしい光景ではありましたが、その結果のマイナス面として、最近では子どもの育て方も知らない「芽むしり、仔(こ)撃ち」を彷彿(ほうふつ)とさせるような若い親たちを続出させるようになっています。

 「『売り家』と唐様で書く三代目」という諺(ことわざ)がありますが、今の日本の社会状況はそのような三代目の続出中というところでしょうか。もちろん全員がだらしないわけではありませんが、そのような人たちの数が増加しているということでしょう。

 このような世代の変化を逆読みすると、「親より苦労の足りない子どもが、親より偉くなるわけがない」ということにもなるでしょう。そして、このことと「アイデンティティー」の弱体化には強い関係があるのではないでしょうか。経済力(物質的な豊かさ)と精神力(アイデンティティー)とは別物(基準が違う)ということを、大多数の日本人は経済発展に狂奔する中で忘れてしまったように思われます。そのことが現在の変革期における日本人の「チャレンジ能力」の弱体化の大きな要因となっているように感ずるのです。

(上毛新聞 2003年8月15日掲載)