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県保護司会連合会長 若槻 繁隆さん(伊勢崎市茂呂)

【略歴】大正大学文学部卒。1952年から、保護司、高校教諭として活躍。88年、太田高校長で定年退職。退魔寺住職として前橋刑務所教誨(かい)師を務め、受刑者への説話を続けている。

拉致ということ



◎まず関係者を元の所へ

 昔、幼いころ、親の言うことを聞かなかったり、だだをこねたり、夕方遅くまで外で遊んでいたりすると、「人さらいに連れていかれてしまうよ」と脅された経験をもっている人は意外と多いようである。しかし、私を取りまく周辺では、実際にはそういう事実は今に至るまでほとんど聞いたことがなかった。

 ところが、敗戦後の国内が「神武景気」だの「バブル」だのといって、平和ボケしてきたころ、ある日忽(こつ)然として人が消えてしまったということが、何度か報道されるようになった。家族にも友人にも理由も原因も分からないという。頭にちょんまげを載せていた時代なら「神隠し」とかいってすんでいるのかもしれないが、今の時代にはそれでは通用しないのは当然である。ことによると外国に連れ出されているのではと疑い、そこに「よど号」事件にかかわった人の証言で「北朝鮮に拉致」されているという情報が入ってきたにもかかわらず腰を上げようとしなかった政府や政治家は「国交のない国」だからとか、「確証がない」ということであったようである。

 そしてまさに今日本に帰って来た人たちはその通りのことをされていたのである。加えて「何日間かの帰国を認めての約束を守らないのは、約束を守らない日本政府が悪い」と言うが、その前に日本の国を「侵犯」していることは国際法違反であり、領土侵犯であって、それは勝手に「不問」に付して「悪かった」と「謝罪」していないようである。明らかに日本の領土を侵し、その上生命までも脅かし、奪われたかもしれない結果を招いているのにである。たとえ五十年以上前の問題に比較すれば、これの方がまだ軽いと言うのかもしれないが、そうやってすべてを関連付けていくのでは、恨みをさらに恨みで塗り固めていくことになる。「功績を挙げるためにやったことであるが、その者は厳重に処分した」。だから「終わり」では被害者だけでなく、親・兄弟・姉妹にとって納得できないのは当然である。「悪いことをした」と認めた以上、まず第一に「年齢は戻らないが、関係する人すべてをまとめて元の所に帰す」ことによって、次の話に移れるのではないだろうか。

 ある日、人が突然理由も分からず、言葉も生活習慣も異なる国に連れていかれたら、一体どのようになるのだろうか。考えただけでもぞっとするし、ましてそれが自分の大切な人たちであれば、後に残された者は「なぜ」と思うと居ても立ってもいられない、気も狂わんばかりの状態になるのは当たり前である。古人が「わが身をつねって他人の痛さを知れ」と言ったが、そういう「教訓」はないのだろうか。仮になくても「自分と同じように他人も大切なのだ」ということを無視して、「ただ自分だけが良ければすべて良し」と考えているのだとするならば、他国との交わりも、人としての交際もできないし、ついにはお互いに「不倶戴天(ふぐたいてん)の敵」となってしまうのである。

(上毛新聞 2003年8月29日掲載)