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お茶の水女子大学大学院人間文化研究科教授、学術博士
内田 伸子さん
(千葉県市川市)

【略歴】沼田女子高校、お茶の水女子大卒、同大大学院修了。専門は発達心理学。同大子ども発達教育研究センター長。著書は「発達心理学」(岩波書店)「子どもの文章」(東京大学出版会)など多数。

図鑑型?物語型?



◎異なる乳児への言葉

 お母さんに抱っこされた赤ちゃんは前方からやってくる大きな犬に気づいてからだを硬くし、目を真ん丸くする。すぐに傍らのお母さんの顔を見上げる。お母さんがほほ笑んでいれば安心した表情になるが、お母さんが怖い顔をしていれば緊張したままである。これは生後十カ月ごろの乳児がよく見せる「社会的参照」と呼ばれる行動で、乳児が他人の視点から世界をとらえるようになったことの証しである。

 この行動について私たちは次のような実験を行った。実験室で十カ月の乳児と母親にしばらく遊んでいただく。二人が環境に慣れたころを見計らい、乳児が見たこともない犬型ロボットのアイボを入れてみる。すると乳児は緊張し、目を真ん丸くする。ほとんどの乳児は母親の顔を振り仰ぐ。乳児の行動の一部始終は天井のカメラがとらえている。そこで「お母さん笑って」とか「お母さん怖い表情をして」と母親の耳のイヤホンで伝える。

 母親が微笑すれば乳児はやがて安心した表情をし、中には勇敢にもアイボに近づこうとする乳児もいる。母親が怖い顔をしていると乳児は緊張したままだ。ところが、百人中四十人は興味津々アイボをじっと眺めていて母親の顔を参照しようとはしない。しかし、姿勢は母親の方に傾け、いつでも逃走体勢が取れるようにしている。

 乳児たちが一歳半になったときに各ご家庭を訪問して同じ実験をさせていただいた。十カ月のときに社会的参照をしなかった乳児はやはり今回も母親の顔を参照しない。大学の実験室で見せたのとは別のデザインのアイボを見るや、母親の方に後ずさりしながらも目はアイボにくぎ付けだ。

 一歳半ごろは語彙(ごい)が爆発的に増える時期。受胎して十八週目から聴神経が働き始め、乳児は胎内で「ことば」を聞いている。音声素材は着々とストックされていく。二足歩行が始まると、発語器官は声が響きやすい「共鳴腔」に変化するため、これまでストックしておいた音声素材を一気に発声するようになる。家庭訪問の前一カ月間に乳児がどんなことばを話したか記録しておいていただいたところ、週に平均四十語も言葉を増やす「語彙爆発」が起こっていた。

 社会的参照をした乳児の語彙の65%までは挨拶(あいさつ)や感情表現語など人間関係に関する語彙、残りの35%は名詞である。人間関係に敏感な「物語型」だ。一方社会的参照をしなかった乳児の語彙は95%までが名詞で、モノの因果的成り立ちの方に関心のある「図鑑型」。この気質の違いに対応して母親が乳児にかける言葉も異なる。物語型の子どもには社会情動的なかかわりを促すように「怖くないよ。かわいかわいして」、図鑑型の子どもには「リモコンを押すとしっぽが動くね。ほらキャンキャン啼(な)くよ。面白いね」と対象の因果的成り立ちに言及する。

 母親は子どもの個性に合わせて働きかけを自然に調整している。気質は親から受け継ぎ、さまざまな人々との社会的やりとりによって少しずつ変化していくもの。家族やきょうだい、友達との交流を通して人間関係を調整する力を育(はぐく)んでいくのである。

(上毛新聞 2003年8月31日掲載)