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元中学校教員 高橋 義夫さん(松井田町行田)

【略歴】国士館短大卒。1957年に松井田町立臼井中学校教員となり、以来35年間同町周辺の中学校で生徒指導に取り組む。91年に指導の記録をまとめた著書「中三の君らと」を出版した。

親が教えられるもの



◎何が人間を幸せに?

 世の中には目に見えるものと、目に見えないものがあります。

 私たちは日常生活の中では、目に見えないものについては深く考えません。そして一般的には、私たちは目に見えるものの存在が世の中であると思いがちだと思います。

 さらに、私たちは目に見える姿形で物事の善しあしを判断してしまうことが多いようです。また、人間そのものに対する評価についても、社会的な地位・職業・財産・学歴・容姿などによって判断する場合が多くあるようです。

 それからまた、現代社会の流通機構の中においては、物事に対する評価を数字に換算することによって、そのことの是非を判断しているように思われます。そして、それがコンピューターという強力な武器によって裏打ちされる合理主義が現代社会を支配しているように思われるのです。

 しかし、私たち人間の本当の値打ちまでも数字にすることができるでしょうか。

 人間の真の値打ちも本当の幸せも、目に見えないもの、数字に表せないものの中にこそあるように思われます。

 例えば、こんな話があります。「リンゴが四個あります。このリンゴを三人で分けるとしたら、どういう分け方が一番いいでしょう」の問いに、子供たちは「一人一つずつ取って、残った一つは三等分します」と答えました。

 でも、その中の一人の子供は「一人一つずついただき、残った一つは仏壇に供えます」と答えました。

 現代の社会においては、前者の答のみ「○」で後者の答は「×」となってしまいます。

 「×」をもらった子供の心の内はどうでしょう。この子の悲しみを理解しようとしない社会が現代という世の中かもしれません。

 そして、一個ずつ取り残り一個を三分の一ずつと答えた子供たちもやがて、算数から数学にかわる時、点数至上主義の受験という現実に向き合うのです。

 そして、子供たちはその時が人間に目覚め、人生への心構えのようなものを感じ始めるのです。その時子供たちの前にあるものは、学力という壁です。学力のみが人間の値打ちではない、なんて言われても、その時はその意味が理解できずに一人で苦しむのです。

 少子化と学歴社会がつづく限り、今のままの社会の機構や教育の有り様では、子供たちはますます悲しい現実に遭遇することになるでしょう。だからといって不安を募らせてもどうにもなりません。

] 今、本当に子供たちの人間性を育てられるのは親だと思います。親は来し方の自分の人生を思い、何が人間を幸せにするかを自分の子供に教えてやるべきです。

 前述した「残り一個のリンゴは仏壇に供えます」と言った子に、何と言ってあげるかを考える時に、大切なものは何かという問いの答えが出てくるように思います。こうした家庭教育が目に見えない心の力を育てることだと思います。

(上毛新聞 2003年9月4日掲載)