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県自然環境調査研究会員 松澤 篤郎さん(館林市富士原町)

【略歴】館林市出身。県立館林中学校、日本大学文理学部卒。東京大学理学部植物学教室留学。小・中学校で理科教師、小学校で校長を務める。現在、館林市環境審議委員、板倉町文化財調査委員。

文芸上の雑木林



◎先人たちに想いはせる

 私の生れ育った家の前は、クヌギ、コナラを主体とする平地の雑木林であった。その中に時折、アカマツの亭々と空を圧するような巨木があった。冬には赤城颪(おろし)にアカマツの梢(こずえ)が大きく波打ち、松風となって時にはうなり、時には心地よい子守歌のように聞こえ、アカマツ林の懐に育った思いがする。

 雑木林の小径をさまよい歩くと、冬の林床はササ類や小さな低木類はきれいに刈り払われ、燃料や堆肥に利用されていた。樹々の梢の隙(すき)間から淡い日が差し込み、さまざまな木肌の模様が見られた。踏みしめる落葉から心地よい感触が伝わり、少し足をとどめると、盛んにさえずるシジュガラの小さな群れに遭遇する。雑木林の冬の散策も楽しい。

 春の雑木林の景観は移り変りが早い。林床にはヤマツツジの燃えるような赤い花の絨毯(じゅうたん)。その中に時折、レンゲツツジの大形の花も混生する。空を見上げると、クヌギ、コナラの若葉が銀色に輝く。早春の若葉はみずみずしい。

 さて、ここで雑木林の美をたたえる文芸上に登場した事柄について述べてみたい。

 足田輝一著『雑木林の博物誌』の中の〈雑木林ことはじめ〉によると、徳富蘆花が明治三十三年に発表した『自然と人生』の中の〈自然に対する五分時〉に雑木林の美をたたえる一節がある。「余は斯(こ)の雑木林を愛す。木は楢(なら)、櫟(くぬぎ)、榛(はん)、栗、櫨(はじ)=ウルシ科のハゼノキ、落葉低木、秋の紅葉が美しい=など猶(なお)多かるべし。大木稀(まれ)にして、多くは切株より簇生(ぞくせい)=むらがって生える=せる若木なり。下ばえは大抵綺麗(きれい)に払いあり、稀に赤松黒松の挺然(ていぜん)林=ぬきんでいる林=より秀でて翠蓋(すいがい)=松の枝などがかさのように覆うこと=碧空(へきくう)に翳(かざ)す(さしかける)あり。…春来りて、淡褐、淡緑、淡紅、淡紫、嫩黄(どんこう)=若葉の黄色=など和(やわら)かなる色の限りを尽せる新芽をつくる時は、何ぞ独り桜花に狂せむや」。雑木林にとって、蘆花はおそらく最初の理解者であったといわれる。

 次に『武蔵野』の国木田独歩は、雑木林の最大の理解者であったといわれる。

 『武蔵野』の第三の項に「昔の武蔵野は萱原(かやはら)のはてなき光景を以(もっ)て絶類の美を鳴らして居たやうに言ひ伝へてあるが、今の武蔵野は林である。林は実に今の武蔵野の特色といって宜(よ)い。即(すなわ)ち木は重(おも)に楢の類で冬は悉(ことごと)く落葉し、春は滴る計(ばか)りの新緑に萌(も)え出づる其(その)変化が秩父嶺以東十数理の野一斉に行はれて、春夏秋冬を通じ霞(かすみ)に雨に月に風に霧に時雨に雪に、緑陰に紅葉に様々(さまざま)な光景を呈する。…中略。元来日本人はこれまで楢の類の落葉林の美を余り知らなかった様である。林といえば松林のみが日本の文学美術の上に認められて居て歌にも楢林の奥で時雨を聞くといふ様なことは見当らない」。独歩は雑木林という言葉は使わずに落葉林といっているが、示すところは雑木林と同じである。

 独歩は日本文化の中で松林尊重を脱して落葉林の美、つまり雑木林の美、そして雑木林をこよなく愛した第一人者であったと思われる。私はかつて雑木林の小径をさまよい歩きながら、ふと、先人たちの足跡にはるかに想(おも)いをはせ、それが百年ほどの、ちょっと昔の雑木林のようだった。

(上毛新聞 2003年9月5日掲載)