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あさひ小学校支援隊顧問 森尻 昆男さん(太田市東別所町)

【略歴】太田高卒。米国駐留軍で接客業に携わった後、1958年に群馬県警に入り、実家の都合で64年に退職。民間企業2社に勤務し、86年に退職。昨年4月からあさひ小学校支援隊顧問に就任。

祭り後のごみ収集



◎越谷市から学ぼう

 阿波踊りといえば、毎年八月十二日から徳島市で盛大に行われており、この日を待ちわびた阿波っ子たちが、市内八カ所の演舞場で見事な乱舞を十五日まで続け、なんと四日間に延べ百三十万人の人出でにぎわうといわれています。

 徳島市の夏祭りの現場を実際には見たことはありませんが、妹や息子たちが埼玉県越谷市に住んでいる関係で、泊まりがけで一昨年、昨年と続けて見に出掛けております。 というのは、越谷市と徳島市が姉妹都市関係にあり、越谷市の祭りで阿波踊りが披露されるからです。祭りは毎年八月の第三土、日曜日に行われているようですが、南越谷駅西口の十階建てマンションの最上階から眺める祭り風景は格別で、「連」と呼ばれる踊りグループが三味線や太鼓で奏でる二拍子のリズムに乗って、次々と演舞場に現れる光景は勇壮で圧巻そのものでした。

 午後九時の放送合図で祭りは終了しますが、街全体でボランティアによる片付け作業が開始され、あっという間にごみが収集され、午後十時には道路中央に積み上げられたごみの山が市の収集車によって運び去られ、いつの間にか、街全体が元の姿に戻っておりました。翌朝、表通りの歩道を散歩して町内の人に聞いてみたところ、祭り清掃の実行委員会制度が発足して十八年間、ボランティア活動として継続しているとのことでした。

 そんな状況を想定して、七月二十一日早朝(午前四時半ごろ)竹ぼうきとちり取りを軽トラックに積み込んで、太田夏祭り南会場跡に出掛けました。会場では、市から委嘱された二十人ほどの環境保健委員の皆さんと、わずかな人数のボランティアが汗にまみれて、片付け作業をしている姿を見て、いささかショックを受けました。植え込みの中はたばこの吸い殻がいやっというほど投げ捨てられ、いたる所でごみが散乱していて、宴(うたげ)の後の地獄のような光景を見てしまいました。

 おそらく、これからも毎夏、祭りは実施されると思います。片付け作業が終わるまでが本来の夏祭りでありたいと思います。また、来年こそは越谷市のように短時間で清掃活動ができるような態勢づくりを、これから計画していけないものか―とつくづく思っておりますが、いかがでしょうか。

(上毛新聞 2003年9月15日掲載)