視点 オピニオン21
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意匠図案家 長沢 士郎さん(太田市由良町)

【略歴】桐生市生まれ。諸氏に画技を学び、意匠図案を業とする。舞台衣装デザイン、墨彩画個展多数。邦楽の作詞・評論執筆も多い。手ぬぐい作家でもある。著書に『和の意匠 てぬぐい』がある。

伝統ということ



◎介在する美しい日本

 手もとにすっかり色褪あせた一枚の新聞がある。日付は昭和三十八年一月一日、上毛新聞である。不思議なことに西暦が記されていないので正確かどうか少し不安であるが、四十年前の紙面であると思う。

 私はといえば十七歳。そしてこの新聞は上毛文学賞の前身の第一回新春文芸の発表の新聞なのである。その俳句部門、一席に該当がなく、二席が五名、そのなかに私がいるのである。

 自慢話のような書き出しになってしまったが、今私の肩書から失せた俳句がこの色褪せた上毛新聞のなかに眠っているのである。

 私が、故相葉有流師の“石人”で俳句をはじめたのが十四歳。その後、有流師の許しを得て師事したのが故角川源義師。そのころは日本の新鋭として俳壇で騒がれもした。もろもろの事情ですべての交わりを絶って今日に到るが、俳句は生涯の友でもある。

 幼時、画を学び(というよりは遊び)それも伝統技法の南画、そして伝統文芸の俳句、さらには伝統芸能の邦楽の作詞や評など、そして職業である意匠図案(今風にいえばデザイン)も伝統である和装から出発している。

 こうしてふりかえると、すべて伝統という文字がついてまわる。決して意識して選んだ道ではないが、結果として“伝統”ということに生かされ歩んできた一筋の道が見えてくるのである。

 今回、この欄を受け持つことになったが、上毛新聞とのつき合いも、四十年前にさかのぼるわけである。

 色褪せた紙面に古い私を閉じこめて、今私の目の前には染め上がったばかりの一枚の“てぬぐい”がある。今の私が力を入れていることのいくつかは、おいおい記してゆくが、今日は“伝統”という話の流れの都合上、“てぬぐい”にふれてみたい。

 私がてぬぐいの図案製作にこだわるひとつが使い道具で(かつては)あることである。

 一昔前、てぬぐいは大切な身辺の道具であった。その役目をタオルという文明に渡して、静かに消えていったはずのてぬぐいが、どっこい現代という時を生きているのである。それはてぬぐいの中に凝縮された、粋や美意識が実用というものを通り抜けて、その時代を背景にして生きている“伝統”の強さなのである。手を拭ふく道具だけならばそこに文様というものが無くても十分に用は果たせるであろう。

 伝統という言葉の陰には必ず美しい日本が、日本の変わることのない心がそこに介在する。タオルを文明と呼ぶならば、てぬぐいは伝統であり、文化なのである。

 伝統にはさまざまな要素があり成り立つものである。気候風土というのも大きな要素である。窓を鳴らすのはこがらしであろうか。

(上毛新聞 2003年12月1日掲載)