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東京商工リサーチ前橋支店長 山内 弘夫さん(前橋市上新田町)

【略歴】前橋高、明治大政治経済学部卒。1982年、民間信用調査機関の東京商工リサーチに入社。前橋支店に勤務し、企業調査に従事する。同支店情報部長を経て、今年1月から現職。

会社の危機



◎性格だけでは救えない

 携帯電話を掛けてきた相手は思いもよらない人物だった。その日の新聞各紙には、小社のクレジット入りで、ある倒産記事が掲載されたが、電話の主はその倒産会社の社長だった。会社は百年近い歴史がある老舗企業だった。

 「結局こんなことになっちゃった。頑張ったんだけれどね。もう少ししたら落ち着くと思うから、今後のこと相談に乗ってよ」

 電話はそんな話で切れた。重荷を下ろして楽になったのか。声は意外に明るかった。新婚生活二年目での会社破は綻たん。確か、その年に初めての子供が生まれたはずだった。三十代後半だから、この先随分と長い人生が残されている。調査取材などで会社にお邪魔すると、工場から作業服で出てくる、まじめな、仕事いちずな社長だった。しかし、逆にそのことが災いしたのかもしれない。

 父親に代わって、社長となったのが三年前。株式投資に失敗して会社財務に大穴を開けた父親に対して、材料の主力納入先が不信を表明。事業支援の条件に、社長の交代を突きつけてきた。そのため、息子である彼が社長に就任し、再建に取り組むという経過があっての事業引き継ぎだった。

 彼に対する取引先の評判は上々で、私個人も熱心な仕事ぶりに感心していた。彼が社長になってすぐに会社が変わるようなことはなかったが、二年後には大手企業から大口の注文を取り、工場はフル稼働状態になった。表向き、会社は活気にあふれていた。しかしながら、たまに寄って社長に話しても、彼の顔色はさえないままだった。商売がうまくいっていると、黙っていても顔に出るものだが、その気配がうかがえない。

 ある時、随分忙しそうではないですか、と話を振って、いろいろと聞いているうちに、大手企業からの注文は、原価スレスレの単価でしかないことが分かった。間接経費を入れると、赤字の仕事と思われた。業界慣習に比べ、支払い条件が破格に良かったため、その仕事に飛び付いたのだ。安いだけに大手企業は重宝し、契約した以上の発注をドンドン浴びせてくる。そのため、もうかる仕事まで犠牲にして、注文をさばいている状態だった。まじめな性格だけに断れない。利益なき繁忙の中で、彼は悩んでいたが、結局それが命取りになった。

 倒産にはさまざまなかたちがある。後のことなどお構いなしに、夜逃げしてしまう経営者もいれば、債権者に対し真しん摯しに対応する経営者もいる。会社経営と同じように、倒産の仕方にも社長の性格が表れる。社員になれなくても社長にはなれると良く言われるが、経営者は得てしてそれぞれ個性が強い。中には手形・小切手が不渡りになることを何とも思わない無免許運転に近い社長だっている。

 彼は債権者に誠実に対応した。要求されれば、あす買うお米の代金まで差し出すような性格を、債権者の多くが知っていたため、誰も無理を言わなかった。きれいな倒産処理だった。しかし、彼のまじめな性格を評価して、残された長い人生を支援するスポンサーが現れるかどうかとなると、話は全く別になる。

(上毛新聞 2003年12月13日掲載)