視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
勢多農林高校教諭 新井 秀さん(高崎市大橋町)

【略歴】高崎女子高、東京教育大体育学部卒。陸上競技の現役時代は走り幅跳び国体3位、400メートルリレーインカレ入賞。1968年、松井田高教諭となり、伊勢崎女子高、高崎女子高を経て現職。

教育現場からの発信(1)



◎分別ある子供たちに

 一年生の体育の授業でこんなことがありました。バスケットボールの基本的な技術・ルール等を確認し「試しのゲーム」に移った時、どうも生徒の様子がおかしいので集合させ、まさかとは思いましたが、男子生徒の一人に「バスケットボールのスタメンは何人だっけ」と質問したところ「わかりません」という答えが返ってきました。

 続けて全員に同じ質問をした結果、約三割が「わかりません」でした。次にサッカーはに対して約六割が、ラグビーに至っては約八割の生徒が同じ答えでした。ゴール型球技とネット型球技の相違点について確かめようとした私にとってかなりの驚きでした。そして、最初に質問した生徒に「これまでゲームに出たことは」と尋ねると「ありません」の返事。「え!! 一度も」「はい」。「どうして」と聞くと「興・味・な・い・か・ら・」との答えでした。

 さらにショックだったのは、授業後知ったのですが、彼はこれまで球技では、仲間や教師から注意を受けたり声をかけられたことがなかったということです。以前「やっとけ体育」「ほっとけ体育」という言葉を聞いたことがありますが、まだこうした現象があるということを再認識すると同時に、他教科でも同様なことが起きているのではないかと懸念されます。

 興味があることは熱中するが、それ以外は関心さえ示さない生徒が確かに増えています。昔も三無主義や五無主義といわれていたことがありましたが、今は何と表現するのでしょうか。おたく主義とでも言うのでしょうか。これを見過ごせば、学校教育の崩壊を助長することになります。

 そうでなくても、残念ながら、最近の流れとして、現場では、個性を尊重するということで、選択授業がますます拡大・細分化され、好きなものしか選択しないという傾向が強くなっています。一概に否定するつもりはありませんが、人として、その基礎を学ばせる学校教育では、きらいなことでもきちんと学ばせる必要があると思います。

 体育の授業では、その多くは人類がつくりだした文化の一領域であるスポーツ文化を教材として、それを正しく継承し発展させ、自分の頭で考え、身体で表現できる能力を養い、生きる力を身につけさせることをめざしています。従って、興味がないから、好きではないからという生徒を放置するのではなく、興味を持たせ、好きにさせる授業を展開させることが体育のプロとしての使命だと痛感しています。

 ルールを無視し、興味がないから、好きではないから、と自分勝手な行動をとる生徒は、当然ながら校則を守らず、授業中眠いからといって寝る、腹がすいたからと食べる、メールを打ちたいからと打つ等の問題行動を起こすことにつながります。

 大人社会では今、次々と最低限のルールさえも無視し、何でもありの状況が横行しています。せめて、学校教育だけでも、将来の大人予備軍である生徒を、きちんと是否の分別ができるように指導することが大切であると思います。

(上毛新聞 2003年12月21日掲載)