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前橋工科大学教授 遠藤 精一さん(神奈川県鎌倉市)

【略歴】東京・四谷生まれ。早稲田大理工系大学院建築計画専修を修了後、槙都市建築総合計画事務所に入社。1974年にエンドウプランニング一級建築士事務所を設立し、98年から前橋工科大学教授。

教育の原点



◎若者に知る楽しみを

 日本の教育普及レベルの高さは、世界のトップレベルと比較して見てもひけをとらない。教育施設も新しい工夫がなされ、教育にかける親の情熱は世界にも誇れる教育環境を創出しつつある。

 しかし、まず教育の原点とは何であるか、を考えるといろいろな疑問に突き当たる。教育の原点は歴史的に見ても、その時代の社会を反映して、その時心に燃え上がる情熱を行動に移し、率先して社会に反映できる人を輩出することである。

 つまりまずは社会に何か興味を見いだすきっかけを与えることが教育の目的であろう。偏差値教育の弊害は興味を引き出す前に義務を与え、点数を上げることだけが目的となり、結果として知る楽しみ、考える楽しみを放棄させてしまう。

 今われわれの周りを見回すと、多くの若者が世界の真実を見、知る楽しみを見失っているようにみえる。過日大学セミナーハウスという、世界の学生が集まり、宿泊をして会議を行う施設を、日本建築家協会のワークショップセミナーで利用した時、その施設の理事の方が私に話してくれたエピソードが大変衝撃的だった。

 “この施設は世界中から学生が集まりますが、東南アジアから来た学生諸君の言葉から、彼らにとっては日本に来るには、多くの人たちから尊い寄付を使っているわけで、だから日本での経験は逐一報告する義務がある。そして彼らが接した日本の学生たちに、こんなにすばらしい教育環境で勉強できる日本の学生たちはなんて幸せなのかと思い、何を目的として勉強するかを聞いたところ、多くの日本の学生たちからは目的意識が見えなかった。自分たちは貧しい環境ではあるが、自分たちが国で果たさなければならない役割も自覚している。社会が与えてくれるわけではない。与えてくれることに慣れてしまった日本の学生たちに、落胆したと同時に、日本の将来を担う若者の考え方に直面して、日本の将来を大変危き ぐ惧していた”との話だった。

 教育の世界普及が広く望まれていながら、満足な教育を受けられない子供たちがいかに多いか。先日の朝日新聞「天声人語」でも中国の子供の話が取り上げられていた。食事も満足に食べずに学用品を自分で買い求めて学校に通う楽しみを、生活苦から学校に行かなくてもいいといわれて奪われそうになったその子の、なんとしても学校に通い勉強したいとの切実な手紙を現地で見たフランスのジャーナリストが声を掛け合ってこの子を支援する活動が始まった、とあった。

 先進諸国は、途上国の基礎教育援助にどれだけ実績を上げているかが問われている。非政府組織「教育のためのグローバルキャンペーン」が出した成績表では日本は百点満点の三十二点で、二十二カ国中十五位であった。GDP自由世界第二位といわれる日本の行動に世界が注目している、といっても言い過ぎではないように思う。

(上毛新聞 2003年12月29日掲載)