視点 オピニオン21
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エフエム太郎番組制作スタッフ 高山 栄子さん(太田市東別所町)

【略歴】東京都生まれ。太田南中卒。民間会社勤務を経て主婦業に専念していたが、1990年から多くのボランティア活動に携わっている。

朗読奉仕への転機



◎恩師のために吹き込む

 視覚障害の方が学んだり情報を得る手段としては、点字がよく知られている。

 その点字に触れた経験のある方は、どんな感想をお持ちになっただろうか。私も触れたことがあるが、そのあまりに繊細な凹凸をどう識別したらいいものか、何しろ手元にある紙幣の隅にある印字さえ、さっぱり判別できない。そして、もう一つの選択がテープによる朗読である。

 東京生まれの私が三歳の時、戦禍を逃れて父の郷里・仙台に疎開したが、後から届くはずの家財すべてを仙台駅の空襲で消失。その後、病を得た父は十歳の時に亡くなり、以後、一家は生きることに懸命の日々であった。

 進学して学ぶことのできなかった私は、書物やラジオ、テレビ、映画、音楽とそのすべてが教師であり、学びの場であったが、目が見えて耳が聞こえるということは当たり前で、何の不思議もなかった。

 そんな日々の中、一つの転機があった。二十年ほど前のこと、中学の担任であった先生が病びょう臥 がされ、お見舞いのたびに体力をなくされるので、退屈しのぎになればと、短編小説をテープに吹き込み、郵送することを思いついた。何の訓練も受けない読みは、今にして思えば、さぞ聞きにくいものではなかったか。それでも後に、夫人から「とても喜んでいました」との話をお聞きし、恥じるばかりだった。先生を見送って間もないころ、市の広報に「朗読奉仕者養成講座」を見つけ、講座を受けるチャンスをいただいた。

 講座修了後、奉仕会に加入したのはいいが、当時パートの仕事に出ていた私は、休日になると家事やら買い物やらで月に一度の例会も欠席ばかり。そのうち、たまに参加することさえも苦痛に思えてきた。しかし、ありがたいことに、当時の会長さんは「そのうち出掛けられるようになったら、その時でいいから。あせらずにね。時というものがあるんだから」と言ってくださった。それから数年後、仕事をやめた私はすんなりと会に参加することができた。

 視覚障害者を対象に市広報を録音し、数十人の方へ送るというこの奉仕は、昭和五十年から先輩有志の努力で始まったが、今は広報とともに小説、エッセー、講演等のテープもお届けしている。月に三回発行の広報を読む人、それをコピーする人と分担しての当番制だが、広報発行前のゲラ刷りを読むという時間勝負。三年前からは「朗読図書目録」のテープを配送し、「テープの出前」と称して聴取希望のテープをその自宅までお届けするまでに発展した。

 ボランティアの泣きどころはその資金だが、会員の会費と年に一度のスポレク祭での会員拠出バザーの売り上げ金でテープ等を購入しているのが現状。世の中はめまぐるしく、テープからCD、MDと移行している。その波がいずれ私たちにも降りかかろうが、ま、あせらず、ゆっくり時に任せて、やっていこうと思っている。

(上毛新聞 2004年1月13日掲載)