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前副知事 高山 昇さん(前橋市六供町)

【略歴】前橋高、東北大大学院文学・経済史修了。1962年県入庁、職員研修所長、広報課長、農政課長、農政部長、総務部長などを経て95年10月から副知事。2期8年を務め、昨年10月に退任。

これからの社会



◎思いやることを大切に

 ある句会での話であるが、他人の俳句を批判するだけでなく、その句の意図・良さは何かを理解してやることが、自分の作句を育てるのではないか、そんなことが話し合われたという。

 確かに批判精神は重要であり、真理の追求につながるとされるが、批判はややもすると思考の停止・切断に陥りやすい。大義を繰り返し説いたり、思い込みや思いつきとしか思われない主張・論議が多い。

 いま、わたしたちが問われているものは、わたしたちの生き方、地域社会のあるべき姿、そして国の在り方であるが、多くは他を批判することに止まり、新たな理念や価値観の議論にまで進んでいないのではないか。

 ある雑誌の特別企画《日本再生のシナリオ》で文化庁長官の河合隼雄氏が「文化力で日本を元気に」と書かれている。「抑うつ症の患者が絵画によって自分の内界を表現することを知り、極めて創造的表現活動を通して再び生きる力を獲得する」という〈印象的な例〉から不況の打開のため、「文化的な創造や発展に目を向けることではなかろうか」と述べられている。

 このことから考えるのであるが、思考とは「足元から考える」「歴史から考える」、そして「本質を考える」ことによって連鎖していくものであると思う。また、科学技術も絶対的なものではなくなってきているが、その発展には目覚ましいものがある。わたしたちの心の在り方はどうだろうか、それぞれ自ら問う必要があると思う。心の在り方とは、他を思いやることである。そのことは能動的で前向きであり、自らを育て、存在感を自覚させる、自立と自由の基本ではないかと考えている。

 わたしたちの社会は、いま三つの大きな流れがぶつかり合っている。その中でわたしたちはどういう方向に進むべきか、戸惑っている。一つの流れはあらゆる分野において、価値観が相対化していることである。二つ目は国境を超えての一体化の進行である。三つ目はそれに相反する地域主義ないし新たな国家主義の流れである。この流れは極端な原理主義の台頭を促している。

 この三つの流れはそれぞれ必然的なものであるが、その対応は決して容易ではない。わたしたちは個人として地域として、そして国として、その対応について主体的に考え、行動していくことが求められている。

 今世紀の時代精神は「生命」である。生命という言葉が、この時代を表現するものでなければならないと思う。あらゆる生命を守ること、特に弱い者・小さな存在に思いやることが、これからの時代の思考軸の一つでなければならないと思う。

 もちろん思いやる対象がぶつかり合うことがある。例えば自然に対する思いやりを優先するか、わたしたちの子孫へのそれか、現在の生活者に対する思いやりか、その重さを衡こう量りょうしていくことにより、思考は連鎖していく。ただ、その際、重要なことは個人としても地域としても国としても、疎外され、排除されるものがない社会でなければならない。

(上毛新聞 2004年1月18日掲載)