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京桝屋 三桝 清次郎さん(白沢村上古語父)

【略歴】沼田市生まれ。本名・角田清次郎。3歳で歌舞伎の子役としてデビューし、16歳で義太夫語り、義太夫三味線奏者として初舞台を踏む。昨年から県教育文化事業団が主催する実技講座の講師も務める。

私と義太夫



◎「人の心」表現した師匠

 私の家は代々新潟を拠点として歌舞伎(小芝居)を行ってきました。現在は私の母が三代目を襲名し、今に至っています。そのような環境の中で育ってきたので、義太夫はいつも身近にありました。

 幼いころから身近に感じてきた義太夫に真剣に取り組むきっかけとなったのは、先代(二代目三桝京ショウ)と当時交流のあった、今は亡き豊澤重松師匠の義太夫に触れたからでした。重松師匠のものすごい義太夫を耳にして鳥肌がたつような感動を受け、地方においてプロとして活動される方が少ない現在、その伝統の灯が消えていくのを黙って見過ごすのは嫌だとこの道に入ることを決意したのです。

 当時中学生だった私は、卒業後も仕事の傍ら義太夫の語りの稽古(けいこ)に夢中になりました。十六歳で太夫としての初舞台を踏んだ後、十八歳からは三味線も始め、私の生活は仕事以外のすべてが義太夫中心のものとなりました。今の師匠である竹本清太夫先生にめぐり会えたのもちょうどそのころです。清太夫師匠の浄瑠璃を聴かせていただくようになり、それまで自分のやってきた芸の拙(つたな)さを痛感しました。私は節や音ばかりを気にして、義太夫の外観だけしか見ていなかったのです。

 師匠の芸は太夫いや、人間として誰もが生まれ持っている「人の心」を一番大切に表現していました。師匠の芸に対する意気込みはすごいもので、「たった一行の文章も大切にせなあかん」「短いところこそ大切なんや」とその一行がなかなかうまくできない私に、何時間でも時がたつのを忘れ稽古をつけてくださいました。師匠への感謝はとても言葉で言い尽くせるものではありません。

 今考えると、何事も取り組む姿勢というものが大切なのだとわかります。人間的に成長すればそれが自然と芸に出るものなのでしょう。

 最近は県教育文化事業団に協力して、一般の方々にお稽古をつけさせていただいております。私も未熟者ですので、このお話をいただいた時には引き受けてよいものかと大変悩みました。覚悟を決めていざ始めてみると、師匠や諸先輩方に言われたことを同じように教えている自分に気付き、なるほどこれが「芸は悟るものだ」とおっしゃっていた意味だったのかと、あらためて私も学んでいる次第です。

 また、「お稽古が楽しい」と子どものように夢中になっておられる方々を前にして、義太夫や歌舞伎の素晴らしさを頭ではなく肌で感じ、楽しいと思ってくださる方が今後もどんどん増えていくように、私も全力で邁進(まいしん)していこうと思っています。

 「個性というのは無理に出すものではなく、自然と出てくるものだ」と最近感じるようになりました。この義太夫も無理に残そうと躍起になるのではなく、義太夫の素晴らしさに触れ、感動とともに人々が自然に「残したい」と思うように、そんな浄瑠璃を語り、三味線を弾いていきたいと私は考えております。

 近ごろは何かを心で感じ、肌で感じて行動するといったことが少なくなり、頭で判断しがちな世の中ですが、皆さまには今少し昔に立ち戻り、義太夫や歌舞伎の舞台から伝わるものをその肌と心で感じていただきたいと願っております。

(上毛新聞 2004年1月19日掲載)