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NPO法人「お互いさまネットワーク」代表
恩田 初男さん
(館林市北成島町)

【略歴】村田簿記学校卒。税務会計事務所、音楽出版社に勤務。2000年からNPO法人「お互いさまネットワーク」代表。痴呆の人のグループホーム、有償ボランティア事業に携わる。

痴呆



◎欲しい「駆け込み寺」

 「としを取ってもぼけだけにはなりたくない」とよく聞かれます。多くの人がもし自分がぼけてしまった時のことを考えると、大変だと漠然と思うことでしょう。

 この「漠然な大変」の内容を考えてみると、第一に自身の変化の恐れ、第二にその人を取り巻く周辺の人、とりわけ配偶者や子供に迷惑がかかるという遠慮が考えられます。

 第一の自身の変化として、食事をしたことを忘れたり、財布をしまったことを忘れたりと、物忘れが顕著になります。また月日や曜日、電話の内容などを覚えておくことができなくなってしまいます。ぼけが進むと外出して帰れなくなったり、自分の家にいるのに「おじゃましました」と出ていこうとしたり、場所や家族の顔が理解できなくなります。

 このように、今までできたことや、理解していたことが徐々にうまくいかなくなり、本人の考えや理解と、現実に起こっている事柄とのギャップに悩まされ、「自分はどうなってしまうのだろう」という不安や、今まで築きあげてきた信頼、自尊心が崩れてしまう恐れに包まれてしまうでしょう。

 第二は、配偶者や子供に対する介護や精神的な負担への遠慮から、迷惑をかけたくないという「思いやり」ではないでしょうか。

 痴呆(ちほう)の人に対しては、日常生活全般に支援が必要となります。昼夜を問わず見守りや助言をしなければなりません。服をうまく着られなかったり、味み噌そ汁を作ろうとして鍋を焦がしたり、外出して帰ってこられず迷子になったりと目を離すことができません。

 これにも増して、家族が献身的に面倒をみても、「嫁にお金を盗まれた」とか、「ご飯を食べさせない」など被害的になったり、注意しても排便・排尿など同じ失敗を繰り返すと、家族はいたたまれない思いになり、衝動的に強い口調で非難してしまい、本人に対する「思いやり」も消えてしまいます。痴呆の人への介護がもたらす、さまざまな憤りは、家族のストレスを増大させ、いつまでこの状況が続くのか不安に駆られるでしょう。

 このことから「ぼけだけには」と思うのは当然ですが、残念ながら八十五歳以上の高齢者の約四分の一は何らかの痴呆の症状が出現するといわれています。保健・医療の進歩により寿命が延び、その結果、高齢化が進んで「自分だけぼけない」とは言いきれません。だれでも痴呆になる可能性があり、他人ごとではない時代となりました。本人や家族だけの問題ではなく、社会全体の問題として、何らかの対策が必要になっています。

 そこで一つの提案として「駆け込み寺」があってはどうかと思います。昼夜を問わず痴呆に対する専門スタッフがいて、一時的に痴呆の人に対応してもらい、宿泊もでき、必要なら家庭にも訪問してくれる所です。また家族の相談にも乗ってもらえる。このようなシステムがあれば、痴呆に対する不安も少しはなくなるのではないでしょうか。

(上毛新聞 2004年2月4日掲載)