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中小企業診断士 小谷野 善三郎さん(神奈川県横浜市)

【略歴】太田高、中央大第二法学部中退。中小企業診断士、行政書士。経営コンサルタント事務所主宰、中小企業診断協会神奈川県支部監事。上代文学会会員。著書に万葉の旅シリーズ『南海道』『東海道II』など。

文化の興隆



◎万葉歌碑で地域振興も

 全国の万葉歌碑は平成十四年春現在、千六百四十四基を数え、さらにその数を増加しつつあります。そして、その建立時期を調べますと、江戸時代までに四十三基、明治時代に二十四基、大正時代に十一基、昭和に入って二十年までに四十六基、四十年までに八十八基と、合計二百十二基に過ぎなかったのですが、その後の三十五年間で千四百三十基余りも増加したのですから、いかに万葉集への関心が高まったかが分かります。

 昭和四十年ごろまでに建立された万葉歌碑は、篤志家が自邸や神社等に建立するのが主でしたが、昭和四十年代に入ると全国至る所に万葉公園・万葉植物園が造られ、そこに万葉歌碑が建てられるようになりました。これが歌碑増加の大きな要因となりました。万葉歌碑の地域別分布を見ますと、奈良県二百四十六基、兵庫県百十七基、高知県百十五基、福岡県百五基、富山県九十四基などが歌碑数の多い県として挙げられます。

 奈良県、福岡県、富山県はその地で詠まれた歌数が多く、土地に由縁のある歌が碑に刻まれている場合がほとんどですが、高知県は万葉に疎遠の地で、歌碑は万葉公園・植物園の設置に伴って建立されたものです。兵庫県は瀬戸内海航路の主要ルートとして旅人の歌が数多く詠まれていますが、百十七基の歌碑中四十基余は、明石市が市内中学校区ごとに四カ所ずつ建設した公園「花の歳時記園」に建立されたもので、万葉に詠われた植物を主題にした歌碑であって、その地の歌ではありません。

 こうした万葉公園・植物園は宮城県大衡村の昭和万葉の森、福島県須賀川市の愛宕山翠ヶ丘公園、山梨県山梨市の万力公園、石川県志雄町の臼ヶ峰・石仏地区、名古屋市干種区の東山総合公園・植物園(関西以西は略)等が挙げられますが、これらはいずれも地域振興・文化興隆を目的に造られたもので、市町村によって建立されたものです。高崎市山名の高崎自然歩道「石碑の道」の二十数基の詩歌碑も、同様の趣旨で建てられたものでしょう。

 これらの中で私が注目したのは、須賀川市の愛宕山翠ヶ丘公園万葉歌碑でした。歌碑そのものは大きくも立派なものでもありませんが、平成二、三年、市内中学校三年生の揮き毫ごうによって建立された歌碑でした。これは同市教育委員会の国語教育に対する取り組み方を表したものと考えます。

 岡山県鏡野町は子弟教育を町の重要施策と取り組んでいる町です。同町和田から越畑までの旧倉吉街道に設置された万葉の歌木柱群は、町内に植生する万葉植物百四種の中から五十種を選び、十六キロにわたる路傍に植えて、その植物にちなんだ万葉の歌を刻字した木柱を建てて町民の文化興隆を図っています。関西テレビや、その他メディアの紹介により地域振興の成果を挙げ、昭和六十三年に万葉の道シンボル広場が建設大臣表彰「手づくり郷土賞」を受賞し、平成二年には「万葉のみちを育てる会」が県知事から「岡山県文化賞」を受賞しています。

 郷土群馬は、古くは橋本直香を生み、アララギ派の巨星、土屋文明を生んだ土地柄です。ますます万葉愛好者が増加し、文化興隆が促進されることを切望しております。

(上毛新聞 2004年2月8日掲載)