視点 オピニオン21
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高崎商科大学教授 硲 宗夫さん(神奈川県横浜市)

【略歴】大阪大大学院修了。毎日新聞記者に。経済畑を歩き、編集委員室長。定年後に経済経営評論家。和歌山大経済学部教授を経て2001年から現職。著書に『悲しい目をした男 松下幸之助』など多数。

ナチの残党狩り



◎日本は健忘症国家か

 第二次大戦は遠くに去り、欧州と南米を主な舞台としたナチの残党狩りも終わりに近づいている。戦後、厳しい追及をのがれてきた彼らも、年齢からして、ほとんどはどこか異郷の地で果てたに違いないが、ユダヤ人虐殺など人道に反した犯罪の事実は決して消えるものではなく、ナチの罪科を追及する動きに終わりはこないだろう。

 私自身、ナチ高官を追跡する騒動に遭遇したことがある。滞在していたのはアルゼンチンの首都ブエノスアイレス。ある朝、新聞に「変装したマルチン・ボルマンがメンドーサにあらわれた」とある。騒ぎは広がり、欧州に波及した。その日のうちに遠方から多数の記者団が到着、取材合戦が始まった。

 マルチン・ボルマンとはドイツ第三帝国の官房長官。ヒトラー総統の側近第一号であった。日本ではゲーリング、カイテルの両元帥、リッベントロップ外相、ゲッペルス宣伝相が知られるが、あらためてニュース映画を見ると、ヒトラーのそばにボルマンがいた。一九四五年四月三十日、ヒトラーが自殺したあと官邸を脱出したといわれる。自殺説もあったが、何度も南米での生存説が流れる。戦後長く逃亡生活をしてきたようである。

 注目のメンドーサは同国西部の都市で、空港は基地兼用。滑走路に戦闘機が並んでいた。

 さて、「ボルマンを探せ」となっても手掛かりはない。〈変装姿のボルマン〉という言い回しは気に入らないが、ナチ高官の名を観光用に使ったという話はなさそうである。“まぼろし”を追って記者団はかけずりまわった。私はドイツの週刊誌『シュピーゲル』の記者と親しくなり、電報局で情報を交換した。結局、だれも記事にできなかった。

 ユダヤ人虐殺のアドルフ・アイヒマンが逃亡先のアルゼンチンで、イスラエルの秘密警察に逮捕され、エルサレムでの裁判の結果、処刑されたのは一九六二年。その十年後のブエノスアイレスをめぐり“二人目の快挙”を期待する社会心理のうねりがあった。

 それから何年かして「ブラジル・マットグロッソ州のボルマンの隠れ家を警察が急襲した。が、本人は運良く、その前日に脱出していた」という新聞記事を読む。秘境に逃げたボルマンのその後はわからない。

 ブエノスアイレスで思ったことはナチの残党を仮借なく追及する執念のすごさであった。人道に反する国際犯罪を追及する手を決してゆるめない。先進国の精神文明の深さと堅固さを、お互いに確認し合う連帯行動でもあったのだろうか。

 それにくらべると、日本は何と優秀な(?)健忘症国家であることか。戦争をめぐる状況を自ら仕分けして、自身で戦争犯罪を追求することはなかった。戦後史をゆがめたスターリン(旧ソ連書記長)の「平和攻勢」という名のペテンに操られた愚行を追求せず、企業犯罪さえも時効で忘れてしまう。「簡単に忘れる」「あいまいにする」国は尊敬されることはあるまい。

(上毛新聞 2004年2月28日掲載)