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京桝屋 三桝 清次郎さん(白沢村上古語父)

【略歴】沼田市生まれ。本名・角田清次郎。3歳で歌舞伎の子役としてデビューし、16歳で義太夫語り、義太夫三味線奏者として初舞台を踏む。昨年から県教育文化事業団が主催する実技講座の講師も務める。

芸は生き物



◎人の思いや心を表現

 先日、県教育文化事業団でお稽古(けいこ)をさせていただいているときに、お弟子さんに面白いことを言われて驚きました。「師匠、疲れているんですか」と聞くので、「何で」と聞き返すと、「いつもより何か目に力がないですね」と言われ、人間の目の持つ凄すごさを感じました。役者さんたちがよく「役者は目が死んだら終わりだ」とおっしゃられているのを思い出し、気をつけなければならないと思いました。私自身、稽古を付けている時、一番見るところはお弟子さんの目なのに、私の目に力がなければ何の説得力もないなと思い、あらためて勉強している次第です。

 最近、お弟子さんがよくやっているなと感じられるようになり、何とか良い舞台を踏めるよう頑張って、一緒に伸びていけたらなと思っています。また、お弟子さんたちにも変化が見え始め、自分のお稽古以外も聞きに来るようになり、次第に上達にもつながり始めました。芸というものは、無常にもいつ結果が出るか分からないもので、我慢ばかりのところもあり、辛い思いをしている人もたくさんいることでしょうが、何とか頑張ってほしいと願っています。

 私自身、お客さまや師匠ならびに先輩方のおかげで今があるようなものです。人間は何でも自分一人でできるような気がしていても、いろいろな方々がいて初めて生きていけるものです。私も時にはお客さまに励まされ、師匠や先輩方にさまざまなことを教えていただいてきて、今があると思います。また、若輩者の私を抜てきしてくださった大平良治理事長をはじめとした県教育文化事業団の方々や、お弟子さんが喜んでくださるように努力したいと思っております。発表会も考えてくださっているようですので、皆さまにおかれましても、お足をお運びください。少しでも良い義太夫を聴いていただけるよう頑張ります。

 先日、私は佐渡に渡り、義太夫を語ってきました。演目は「義経千本桜道行初音の旅」というものを語りました。私は相(あい)三味線の旗二郎と二丁の掛け合いで勤めさせていただいたのですが、なかなか合わずに苦労しました。おかげさまでお客さまは「良かったよ」とおっしゃってくださいますが、やっている当人は冷や汗ものでした。役者さんが子供でしたので、節が少しでも違うと動きづらいとのことで細心の注意を払って語りましたが、なかなか難しかったです。なぜなら義太夫は同じ演目でも、役者さんが違ったり師匠が違うと、少しずつですが節が異なるのです。三味線もおのずと同じことになります。お客さまはそこを聴き分けると、面白いところでもあるのです。ただでさえ芸は生き物、十回語れば少しずつ変わるものですから。

 また、師匠に伺ったところによると、「変わらないのは進歩しない証拠だ」とおっしゃっていました。このことを考えてみると、「間」は魔物の「ま」という意味ではないかなと思います。今は何もかもがデジタル化してる時代です。三味線も、こんなに何でもある世の中なのに、いまだに革を張るのには何か意味があるような気がします。ちなみに、私は人の思いや人の心を表現できるからではないかなと考えています。不思議と同じ三味線を他の方が弾いても、また違う音が出るからです。そこが難しさでもあり、楽しさなのかも知れませんね。

(上毛新聞 2004年3月6日掲載)