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渋川市福祉作業所「いぶき」運営委員会理事
奥木 美恵子さん
(渋川市辰巳町)

【略歴】24歳で結婚し、てんかんと知的障害のある長女を出産。1998年11月、障害者親子と教員有志らと「いぶき」をつくり、福祉作業所を運営。「へそクッキー」など自主製品の開発に力を入れる。

特殊教育の在り方



◎悩みが和らぐ改革を

 子供を持つ親であれば誰もが経験することですが、子供が小学校へ入学する年齢になると各市町村から通知が届き、子供たちは一斉に就学児健康診断を受けます。健康な子を持つ親なら何でもない行事の一つでしょうが、障害のある子の親にとっては、この時点から、また一つ教育について悩みを抱えることになるのです。

 私の場合、すでに十数年前になりますが、日本が多方面にわたり高度成長したといわれる二十世紀末にあっても、障害を持つ子の親はこうであったという証しとしてふれたいと思います。

 私の長女は重度のてんかんと知的障害を持っていましたので、普通学級への入学は無理だとしても、娘の将来を考え、自分の生活する地域にできる限り大勢の仲間ができることを願い、通学区の小学校の特殊学級を望んでおりました。ところが、就学児健康診断の結果は、渋川市の西部にある県立榛名養護学校が「適」だったのです。

 しかし、私はどうしても通学区の小学校を希望しました。すると今度は、その小学校に特学はなく、当時の法律では該当する障害児が一人では、特学を設置することができないというのです。どうしても特学を望むのであれば、通学区外の豊秋小か古巻小ということで、両校を見学させてもらいました。

 どちらも徒歩での通学は困難。可能性として、上級生になれば電車通学ができそうな古巻小を希望し、それはかなえられました。二年後、法改正により該当者が一人でも特学が置かれることになり、通学区の南小に転校することになるのですが、それまでの二年間、毎日、朝夕往復三十分の自家用車での送迎が続きました。

 古巻小での学校生活は、実に幸せな日々でした。それは、学級担任が松岡久枝先生だったからです。「松岡学級」と呼ばれる、そのクラスは上級生の男子三人と女子一人の小さな学級でしたが、先生の指導が素晴らしく、皆優しく娘を迎え入れてくれました。

 何よりもありがたかったことは、先生が〈可能な限り、健康児と同じ経験をさせる〉という方針だったことです。例を一つ挙げますと、夏、体育の授業で娘をプールに入れてくれたのです。

 てんかん発作を持つ子のプール指導は危険だからという理由で、禁止されがちですが、「発作が起きたら、きちんと対処します」と言って、熱心に指導してくださいました。そのおかげで六年生の時、臨海学校にも喜んで参加することができました。その他、遠足やスキー教室、運動会など数えきれないほど多くの貴重な経験をさせていただきました。

 そして、松岡先生を中心とした何人かの先生と保護者は固く結びつき、少しずつ、その輪を広げて「いぶき会」という組織をつくり、娘が二十歳になった今日も活動を続けています。

 特殊教育の在り方が大きく変わりつつある昨今、障害を持つ子と親にとって、悩みが少しでも和らぐような改革であってほしい、と願っております。

(上毛新聞 2004年3月7日掲載)