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東京経済大学教授 田村 紀雄さん(東京都八王子市)

【略歴】前橋市生まれ。太田高卒。東京大学新聞研究所、カリフォルニア大、中国対外経済大等で研究教育に従事。お茶の水女子大、埼玉大等で講義。東京経済大で学部長、理事歴任。日本情報ディレクトリ学会会長。

インターンシップ教育



◎全国で急速に拡大

 インターンシップ教育が注目されている。米国の東海岸等では「CD・OP」教育と呼んでいるように、学校と産業界が協力して教育にあたろうというものだ。教育を教室内にとどめるのでなく、働く職場を実感させることで、学生・生徒の学修を社会の要請にあったものへ高めていこうという考え方である。

 また、修学期間中に汗水たらす勤労の貴さや、チームワークで仕事をする職場の楽しさなど、インターンによって得るものは、あまりに多い。

 実は、人文社会系の大学で、初めて授業カリキュラムの一環としてインターンシップを取り入れたのは、私の学部である。東京経済大学は、創立百周年の行事の一つとして新しい学部の創設を考えていた。一九九二年、大学はその学部名を「コミュニケーション学部」とすることを決め、その準備を私に下命したのである。

 「コミュニケーション学」の王道を開こうと長い期間、教育研究に携わってきていたからである。私は欧米の同一の学部を調査していて、日本にない教育に「インターンシップ」があり、それがカリキュラムの中で大きな比重を占めていることを知った。

 「コミュニケーション学部」という日本で最初の学部をつくる以上、この制度は欠かせないと、単位を与える正規の授業として盛り込み、許可官庁である当時の文部省へ新学部設置を申請した。

 私が初代学部長に予定されていたから、この新しい教育方法を、すきのないように整備し、理論化する作業に取り組まねばならなかった。文部省はじめ多くの官庁が大きな関心を示し、以降、インターンシップは爆発的に広がることになる。

 日本で人文社会系では初めての試みという栄誉を誇っているのだが、最初の年は三十人足らずで、恐る恐るのスタートだった。この教育方針の内容や意義を理解させることが大変であった。文部省の担当官、同僚の教職員、インターンを志望する学生、さらには、彼らを引き受けてくれるホスト企業の責任者に「インターンシップとは何か」を説得しなければならない。インターンシップという用語さえ初めて耳にする人が多いのだから、やむを得ない。

 私は新学部の新入生から三十人を選抜して、企業に送ったのが一九九五年。それからわずか八年、文部科学省の調査では二○○二年度、全国でインターンを体験した大学生は二万五千九百七十二人(前年比約五千人増)、短大・高専を加えると約三万五千人。何と千百倍以上になったのだ。東京の二つの大学でスタートしたものが、文部科学省調査では四百六十二校、二百三十倍だ。

 この間、私も創設に加わったインターンシップ学会(私も副会長の一人)が生まれ、急拡大したこの教育法をどう質的に高めていくか、指導者をどう育てるかの新しい課題に取り組んでいる。

(上毛新聞 2004年3月10日掲載)