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豊泉産婦人科・上中居こどもクリニック院長
豊泉 清さん
(高崎市上中居町)

【略歴】高崎高、群馬大医学部卒。同大で産婦人科学を研修し、1980年に産婦人科医院を開業。現在、日本ペンクラブ会員、日本医家芸術クラブ文芸部会員、高崎東ロータリークラブ会員。

幼時体験



◎何でも積極果敢に挑戦

 日本の資金や機材の援助でアジア諸国に学校を建て、教育の基盤を整備するという、遠大だが地道な事業を日本ユネスコ協会が推進している。江戸時代の教育制度にちなんで“寺子屋運動”と呼ばれている。私の妻も高崎ユネスコ協会に所属しており、学校建設の援助活動の一環としてベトナムの山岳地帯を二度ほど訪れたことがある。首都ハノイから飛行機で、ベトナム独立戦争の際の激戦地だったディエンビエンフーという都市まで行き、そこから悪路をバスで半日近くも揺られてたどり着くラオス国境に近い少数民族の山村である。

 私ども夫婦は娘ばかり四人の子持ちである。長女が医学生時代に診療奉仕のボランティア団体に参加して、フィリピンの僻地(へきち)を訪れたことがある。電気も水道もなく、衛生状態も劣悪な地域で地元住民の診療に携わってきた。

 二女は高校生時代に、高崎市と姉妹関係を結んでいるアメリカの都市で、夏期交換学生として民泊を経験した。医学生時代の夏休みに、まだソビエト連邦と呼ばれていた時代だが、シベリア横断の鉄道旅行を試みた。モスクワに到着した日に、ゴルバチョフ政権のクーデター騒動が起こり、数日間は音信不通で冷やりとさせられたが、何とか無事に帰国できた。

 三女も夏期交換学生として、ドイツで民泊を経験した。外語大学生時代に数カ月にわたって中南米諸国を単独で歴訪し、異質文化に接してきた。標高四千メートルを超えるアンデス山脈の峠の国境を越えて三日三晩も走り続ける国際路線の定期バスを地元民に混じって利用したそうである。南米大陸はバス路線も日本とはけたが違う。

 末娘は京都の大学生時代に、砂漠の緑化を目指すボランティア団体に参加して、中国北部の砂漠地帯で植樹作業に汗を流した経験がある。また、標高三千メートルを超えるエチオピア高地の山村に数カ月も寝泊まりして学術資料を収集する文化人類学のフィールドワークに従事したこともある。

 四人の娘が学生時代に外国で民泊を経験し、また診療ボランティアや砂漠緑化や学術調査などのために外国の僻地でも過ごした。私ども夫婦は娘たちが幼いころから、自発的な意欲や好奇心を尊重して、何にでも積極果敢に挑戦させるという育児方針を貫いてきた。成長してからの人生観や行動様式はすべて“幼時体験”というキーワードだけで説明できると、親の立場から解釈している。

 私ども夫婦はロータリークラブに所属している。さまざまなロータリー活動の中で、青少年育成も重点目標の一つである。日本の将来を担うべき若者が地球的規模で活躍できるように願って、国際的な視野の涵養(かんよう)という問題に、私どもの育児体験がロータリーを通じて微力ながらお役に立てば…と念じている。

(上毛新聞 2004年3月18日掲載)