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(有)南牧村ブルワリー代表取締役 青木 重雄さん(南牧村羽沢)

【略歴】1965年、下仁田町生まれ。91年からワーキングホリデーの制度を活用し、オーストラリアなどを渡り歩く。帰国後、93年から南牧村で外国人対象の宿泊施設、現在は地ビールとピザの店を経営。

バックパッカーズ



◎日本の田舎を外国人に

 「日本で外国人向け宿泊施設、バックパッカーズをやろう」。渡豪して約半年、ようやく、やりたいことが見つかりました。バックパッカーズをやりたいと思った理由は、日本にバックパッカーズがなかったこと、「現地でお世話になった人たちに恩返しがしたい」と思ったから、そして何より外国人との交流が刺激的で楽しく、同じ環境をつくることで、一人でも多くの日本人に体験してもらいたいと思ったからです。

 しかし、実現には時間と多額の資金が掛かります。実現に向けての手掛かりもないまま、数カ月が過ぎていきました。シドニー市街地には日本製品があふれており、日本人観光客もたくさんいますが、日本の情報は現地の新聞、テレビなどからは、ほとんど入ってきません。情報源としては、新たにやって来るワーキング・ホリデーの人たちや、現地で発行されている日本人向け月刊紙、ワーキング・ホリデー協会や日豪交流センターで読める一週間遅れの新聞などです。

 そんなある日、日豪交流センターで新聞を読んでいると、偶然にも南牧村に住む故コリン・エルトンさん、佳子さんご夫妻の記事を見つけました。「コリン・エルトンさん、佳子さん夫妻は、南牧村が過疎化対策として貸し出した空き家に東京から移り住み、国内では探しにくい海外の古本を見つけて販売する仲介業を始め、南牧村から三十数カ国と取引をしている」といった内容でした。

 そして、最後に「南牧村も東京も海外から見れば同じ日本。日本の“ナンモク”が“トウキョウ”よりずっと知られるようになるかもしれない、とコリンさんは話す」と書いてありました。「そうだ! 空き家を利用しよう。そして、日本の田舎を外国人に紹介しよう」。読み終わった後、エルトンご夫妻に感謝するとともに、バックパッカーズ実現を確信しました。

 それからというもの、物事がバックパッカーズ実現に向けて動き出したように感じました。滞在期間も残り二カ月を切ったころ、バックパッカーズの視察を兼ねて旅に出ることにしました。冬のシドニーを出発し、アデレード、メルボルンから地平線に向かってどこまでも一直線に伸びる道路を北上し、世界最大の一枚岩・エアーズロックへ、さらに北上を続けると、真夏のダーウィン。数日間で四季を体験できる国、オーストラリアの大きさを実感しました。

 旅の最後はケアンズ。ここではファームステイを体験しました。オーストラリアでは、作物の収穫期になるとピッキングといった仕事があります。住み込みで数週間から数カ月間、収穫を手伝い、収穫量に応じて賃金がもらえます。

 お世話になったファームステイ先は、マンゴなどのフルーツを生産しており、宿と食事を無料で提供してくれる代わりに、一日数時間、仕事を手伝うといったシステムでした。高齢化や人手不足に悩む農家の人たちも、このシステムを取り入れてみてはいかがでしょう。そして旅も終わり、オーストラリアでの一年間は生涯忘れることのない貴重な経験となりました。

(上毛新聞 2004年5月30日掲載)