視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
(株)ちばぎん総合研究所代表取締役社長 額賀 信さん(神奈川県川崎市)

【略歴】東京大法学部卒。日本銀行に入行後、オックスフォード大留学、経済学修士卒。神戸支店長を経て退職。著書に『「日本病」からの脱出』など。経済誌への寄稿、テレビ出演などを通して持論を展開。

子供と駄菓子屋



◎残してあげたい思い出

 今から五十年近くも前になるが、私が子供だったころの思い出を彩るものに駄菓子屋がある。当時はどのような地域にも駄菓子屋があって、そこでは、子供相手のお菓子や簡単な遊び道具を売っていた。大体、どこの駄菓子屋にも、おじいさんとおばあさんがいて、二人で代わる代わる店番をしていたものだが、今の商店とは違って、いつも中は薄暗く、店の奥が居宅となっていた。

 お菓子では、菓子パン、色とりどりの小さなあめ玉、水あめ、おまけ付きのキャラメル、かりんとう、アイスキャンデーなどが懐かしい。遊び道具ではビー玉、べいごま、めんこ、おはじき、ぱちんこ、けん玉、こまなどがいつも売られていたように思う。

 私は一日当たり、五円とか十円とかの小遣いを母からもらうと、そのお金を握り締めて駄菓子屋に通ったものである。駄菓子屋には子供の欲しいものがいっぱいあったから、限られた予算で何を買うか迷うのだが、私がよく思い出すのは水あめである。五円を差し出して、水あめ一つと言うと、店のおばあさんが一本の割りばしを二つに折って、水あめの入っているガラスのつぼの中に差し込み、水あめを巻き付ける。

 同じ五円でも、おじいさんとおばあさんとでは、巻き付ける水あめの量が違うことが多い。期待に反して水あめの量が少ないと、恨めしく思ったものである。ガラスの中の水あめは透明だが、二つに折った割りばしでくるくるこね回していると、やがて白く濁ってくる。私はすぐに食べてしまうのが惜しくて、ひとしきりこね回してから食べることが多かった。

 今ではもう、当時のような駄菓子屋は大部分なくなってしまった。後継者がいなくて、自然廃業となった店が少なくない。あるいはスーパーやコンビニが登場して、商売が立ちいかなくなった店も多い。私たちの食べ物や遊びも、この五十年間で大きく変わった。

 当時の駄菓子屋と似た機能を提供しているのは、今ではコンビニだろう。コンビニは、当時の駄菓子屋と比べれば圧倒的に明るいし、もう水あめは売っていないが、人によって数量が違うこともない。品ぞろえの豊富さや清潔さ、何よりその名の通りの便利さは、当時の駄菓子屋の比ではない。駄菓子屋からコンビニへの変化は、この五十年間で私たちの生活が、豊かで便利になったことを雄弁に示している。

 しかし、買い物をする楽しみを、今の子供たちは、どのくらい持っているのだろうか。わくわくするような期待感を持つことがあるのだろうか。そんなことを時々、疑問に思う。限られた予算で何を買うか、真剣に悩んでいた私たちの時代にも、幸せは十分にあった。それは小さな幸せだが、今でも胸がきゅっとなるほど豊かな思い出として記憶に残されている。あの薄暗いひんやりするような駄菓子屋を懐かしく思い出す一方で、今の子供たちにも、よい思い出を残してあげたいものと思う。

(上毛新聞 2004年6月1日掲載)