視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
(有)南牧村ブルワリー代表取締役 青木 重雄さん(南牧村羽沢)

【略歴】1965年、下仁田町生まれ。91年からワーキングホリデーの制度を活用し、オーストラリアなどを渡り歩く。帰国後、93年から南牧村で外国人対象の宿泊施設、現在は地ビールとピザの店を経営。

外国人の宿泊



◎「次の人たちへ」が徹底

 オーストラリアでの一年間のワーキングホリデー生活を終え、その後、ニュージーランド、フィジーと回り、一九九二年八月に帰国しました。帰国後は外国人向け宿泊施設“バックパッカーズ”の実現を目指し、空き家探しとアルバイトでの資金作りが始まりました。まずは企画書を作成し、オーストラリアで得た情報を頼りに南牧村役場へ。しかし、「現在は空き家斡旋(あっせん)事業は行っていない」と断られ、仕方なく自身で探すことにしました。

 南牧村にはたくさんの空き家がありますが、建物の傷みが激しく、また使用目的が「外国人向け」と聞くと敬遠され、思うような物件はなかなか見つかりませんでした。半年が過ぎ、他地域での物件探しも考え出したころ、当時の南牧村村長・工藤増猪一氏、収入役・工藤治男氏のご理解とご協力のおかげで、以前保育園だった建物を借りることができました。早速、オーストラリアで知り合った友人と二人で改築工事を始めましたが、住める状態になるまでに七カ月かかりました。

 開業間近になり、宿泊施設の許可申請に保健所へ。担当者の指示に従い、建築士に見てもらったところ、許可が下りるように建物を直すと、さらに一千万以上の費用がかかると言われました。困り果て、再び担当者に相談すると「アパート経営なら許可はいらない」と助言され、帰国から約一年、日本に外国人向け(長期滞在者)宿泊施設「バックパッカーズ南牧」が誕生しました。

 バックパッカーズを始めたら、必ず実行しようと決めていたことがあります。それは以前、オーストラリアでファームステイをした時のことです。ファームステイ先に着き、家主から幾つか質問をされ、次にこう言われました。「あなたは今日から私たちの家族です。家の中の物は自由に使ってください。おなかが空いたら、キッチンの物を遠慮なくどうぞ」。初めて会った外国人をすぐに信用して受け入れる、家主の懐の深さに正直ショックを受けました。

 「日本人だから信じてくれた」と思うと、うれしい半面、「同じまねが日本人にできますか」と問い掛けられているようでした。バックパッカーズを実現したら、同じように外国人を受け入れようと、「Pleasemakeyourselfathome(くつろいで下さい)」が外国人を迎える時のあいさつになりました。記念すべき最初の外国人は、スウェーデン人でした。その後、口コミで広がり、四年目を迎えたころには三十一カ国、約三百人の外国人が南牧村を訪れてくれました。

 経営者という立場で感心したことは、外国人のルールを守るマナーのよさです。共同で使う物ほど大事に使い、「使ったら次の人のために片付ける」が徹底しています。それから、フリーフード(無料の食料)という習慣です。帰る人や次の目的地に移動する人たちが、余った食料や調味料を次にやって来る人たちにと置いていってくれます。海外のバックパッカーズやユースホステルのキッチンには必ずあります。どちらも共通していえるのは「次の人たちへ」。今の日本人に欠けているところではないでしょうか。

(上毛新聞 2004年7月24日掲載)