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獣医師 安田 剛士さん(沼田市戸鹿野町)

【略歴】日本獣医畜産大大学院修士課程修了。獣医師。沼田市で動物病院を開業。環境問題に取り組み、群馬ラプターネットワーク、赤谷プロジェクト地域協議会事務局長。県獣医師会員。

子供と川遊び



◎身の回りの環境を体で

 先日、知人が家族で川遊びをしていたら、アユ釣りの人が近づいてきて「ここはアユ釣りの場所だから川遊びはほかでやれ」と言われ、無理やり遊び場を取り上げられたという。アユ漁を生業とする職業漁師でもない釣り人が、まして、大人が子供の遊び場を取り上げるとは一体どういうことだろう。

 利根川水系のアユ漁獲量はここ二十年、減少の一途をたどっており、釣れなくていらつくのは分かるが、相手は子供だ。おそらく自分だって幼いころ川遊びをした記憶があるだろう。まして、川遊びをする子供自体が“絶滅危き惧ぐ種”と騒がれているご時世。アユがたくさん捕れる川づくりを目指すなら、多種多様な生き物が暮らす豊かな川づくりが必要だ。

 そこには当然、子供が川遊びをするという文化がなければならない。それは、イベント放流や魚のつかみ捕りだけでなく、日常の遊びの場としての川を指す。子供のころから慣れ親しんだ自分の川、よく遊び、叱られたという原体験がなくなれば、人と川との距離はどんどん離れ、環境の変化にも関心がなくなってしまう。これでは将来の自然環境や、それを支え、それに支えられた文化も消えてなくなっていくしかない。

 この問題の根底には、自然環境を利用する人と管理をする人が全く別の人、管理をする人や主体が地元から離れてしまった―などがある。ヨーロッパでは、自然享受権という社会通念が浸透している国々がある。誰でもどこでも自然を楽しむ権利を有するが、同時に自然を大切にする義務や責任もあるというもので、成文化されてはいないが、社会の中に浸透しているそうだ。

 自然享受権の肝心なところは子供たちが普段の生活の中で教育され、これを身につけていく点だ。日本でも近年、カントリーコードと呼ばれる成文化したものが出現したが、成文化されなくても常識、文化として浸透してほしい。そのためには教育が大事になる。それも、大人が本気で思っていることを伝える姿勢が必要だと思う。現在の日本では、子供と接する大人は家庭の母親、学校の教師が主で、父親が子供と接するのは一日平均十一分だそうだ。

 地域の大人は子供と触れ合っているだろうか。アフリカには「子供一人育てるには村中の人が必要」という ことわざ諺がある。日本の社会は急激に変化し、地域コミュニティーは崩壊してしまった。少しでもいいから、かかわりを持つことから始めよう。

 日本の自然環境の多くは、適切な環境管理があって初めて美しいふるさとの原風景が維持される。水源は地元で守り、大切に利用されてきた。子供たちは川遊びを通して、さまざまな形でそのことを体で覚えてきた。そこには、自分たちの生活を支える環境に対する信頼があった。水も食べ物も、どこか遠いところで作られて成り立っている食生活は、あまりにも受け身ではなかろうか。身の回りの環境に裏付けされた生活を取り戻したい。そこにはきっと、将来の自然環境や文化をしょって立つ子供たちの笑顔がある。

(上毛新聞 2004年8月26日掲載)