視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
(株)ちばぎん総合研究所代表取締役社長 額賀 信さん(神奈川県川崎市)

【略歴】吾妻・東村生まれ。東京大法学部卒。日本銀行に入行後、オックスフォード大留学、経済学修士卒。神戸支店長を経て退職。著書に『「日本病」からの脱出』など。経済誌への寄稿などを通して持論を展開。

七夕サミット


◎地域内外で連帯の輪を

 「七夕サミット」といっても、知らない人が多いだろう。仙台の七夕祭りは有名だが、七夕を街おこしの祭りとして大切に育ててきた地域は、決して仙台だけではない。七夕祭りを続けてきた地域が一堂に集まり、七夕を切り口に街おこしの在り方を語り合う会、それが七夕サミットである。

 第一回サミットは一九九六年、仙台市で開催され、以後持ち回りで続けられてきたが、七回目となる今年は、さる七月三十一日に千葉県茂原市で開催された。参加したのは仙台、平塚、安城、一宮、枚方など、主催市である茂原市を含めて合計九市となった。

 茂原市の七夕祭りの場合、もともとは商店街の人集めの手段として一九五四年に始められたものだが、その翌年から市の行事として開催されるようになった。それが毎年続いてきて、今年はとうとう五十回目の記念すべき七夕祭りとなった。その五十回記念七夕祭りの一環として、七夕サミットが茂原市で開催されたのである。

 茂原市は、人口九万四千人と決して大きな街ではないが、七月三十日から始まった七夕祭りの三日間では、七十万人以上の人々が同市を訪れた。地元では、その七夕祭りを今や仙台、平塚に次いで日本三大七夕祭りの一つと称している。事実、祭り期間中の商店街は、七夕の飾り、屋台、踊りの人々、見物客で身動きがとれないほどのにぎわいとなっていた。

 七夕サミットでは、堂本千葉県知事の基調講演の後、参加市代表者の方々によるパネルディスカッションとなった。参加者は民間人が主体で、率直な意見が述べられた。私は司会役を務めたのだが、わずか数日の祭りのために何カ月もかけて準備をし、また、その後の片付けをする関係者の方々のご苦労を知って、頭の下がる思いがした。

 七夕祭りを続ける上では、多くの街が商店街の後継者難、財政難といった問題点を抱えているが、どの地域にも共通していたのは、とにかく伝え続けていくしかないという情熱である。祭りが地域に定着し、さらに広く知れわたり、多くの人々を引き付けるようになるには、長い時間がかかる。七夕サミット参加者は、続けることの大切さをあらためて確認することができたように思う。

 何でもそうだが、自分だけでしようとすると、持続させることは難しい。しかし、同じように苦労し努力している人がいることを知ると、それが励みになるし、人は努力することができる。「七夕」という共通のテーマを切り口に語り合えたことは、どの参加者にとっても、大きな刺激になったはずである。

 七夕サミットのように、いくつかの地域が共通のテーマを話し合うための集まりは、今確実に広がっている。こうした集まりを企画し、またそれに参加することは、地域の活力を高める上で、これからますます重要になる。七夕サミットは地域の中でも、また地域外の人とも、連帯の輪を強めたように思う。

(上毛新聞 2004年9月18日掲載)