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渋川市福祉作業所「いぶき」運営委員会理事 奥木 美恵子さん(渋川市辰巳町)

【略歴】24歳で結婚し、てんかんと知的障害のある長女を出産。1998年11月、障害者親子と教員有志らと「いぶき」をつくり、福祉作業所を運営。「へそクッキー」など自主製品の開発に力を入れる。

てんかん運動30周年


◎今後もさらなる発展を

 生後六カ月で、てんかんを発病した長女は三歳まで入退院を繰り返しました。頻発するけいれん発作、増量し続ける薬剤は七種類にもなり、病名告知を受けないまま不安な日々が過ぎていきました。ある時、当時通院していた外来窓口の案内コーナーに置いてあった『波の会』の会報を夫が見つけ、ページをめくると「娘はこの病気ではないか」と気付きました。

 受診の番がきて診察室に入り、主治医に「娘はてんかんですか?」と尋ねると、「そうです」と言われました。初めて病名を知らされ、がくぜんとしました。さまざまな思いが頭の中を駆け巡りました。後に、会報に掲載されていた県支部(当時準備会)の集いに参加してみようと、家族でその集合場所であった群馬の森に出掛けたのです。そこで実に多くの方々と出会い、患者の方や家族の方、また専門職の方など、それぞれの立場で貴重なアドバイスをいただき、その場で入会を決めました。

 すぐに静岡にある専門病院「静岡てんかん・神経医療センター」を受診すると、緊急入院の必要ありとの診断で、その三カ月後の一九八七年十一月に入院しました。約四カ月間の入院を経て、薬は整理され、生活に支障をきたすほど頻繁だった発作はうそのように消失し、月に数回の大発作を除いて、ほぼ通常の生活を送れるようになったのです。それは画期的な例でした。日本全国からの入院患者の中で、長期入院治療を試みても改善しない難治性のてんかんが多かったからです。

 この時『波の会』との出会いを振り返り、静岡てんかん・神経医療センター受診のきっかけを与えてくださった方々、また入院中、治療に携わってくださった先生方に対し、感謝の気持ちでいっぱいになりました。この出会いは現在、私が行っている福祉活動の原点ともなりました。

 『波の会』の正式名称は「社団法人・日本てんかん協会」といい、全国組織の団体です。この病気によって起こる悩みや苦しみを解決するため、七六年に患者、家族を中心に専門医、専門職、ボランティア市民の参加協力で組織されました。主義や立場の違いを超え、常識と誇りをもって進めている開かれた市民団体です。会員総数は約七千人、現在、四十七都道府県に支部があり、それぞれの特徴を生かした活動が進められていて、協会活動の原点となっています。

 てんかんを持つ人は百人に一人、全国で百万人もいるといわれています。この病気を持つ人の社会参加をしやすくするために、総合的な福祉法の制定をめざし、医療と福祉の充実が早急に求められているところです。とりわけ、今年はてんかん運動三十周年という記念の年でもあります。今日の協会の礎を築かれた方々をはじめ、三十年間支えてこられた会員の方々すべてに敬意を表し、今後もさらなる発展を祈りたいと思います。

 なお、日本てんかん協会県支部主催の「第六回てんかんセミナー」(参加費千円)が今月二十四日午後一時半から、県社会福祉総合センターで開かれます。多くの方の来場を期待しています。

(上毛新聞 2004年10月5日掲載)