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勢多農林高校教諭 新井 秀さん(前橋市箱田町)

【略歴】高崎女子高、東京教育大体育学部卒。陸上競技の現役時代は走り幅跳び国体3位、400メートルリレーインカレ入賞。1968年、松井田高教諭となり、伊勢崎女子高、高崎女子高を経て現職。

教育現場のカタカナ語


◎まともな日本語使おう

 いつもそうであるように、若者の言動は大人にとって、理解しがたいことばかりです。言語に至っては、皆目見当がつかない意味不明の短縮語やカタカナ語が入り乱れ、これが日本語なのか、これでいいのかと思います。

 しかし、これに似たことが、若者だけにみられる特異なことでない現実があります。新聞紙上では、相変わらずカタカナ語がはんらんし、株式欄の企業名を見てもカタカナ語ばかりで驚いてしまいます。また、国産自動車の名称はほとんどカタカナ語です。テレビ、ラジオも同様です。数年前、できるだけカタカナ語を日本語に戻し、分かりやすくしようとする動きが起こりました。これで歯止めがかかると思っていましたが、残念ながら、現実はあまり変化がないように思われます。

 実は今年のはじめ、わが校では評価基準等検討委員会という何やらいかめしい会議がありました。そこで私は、今まで聞いたこともない「シラバス」という言葉と出合いました。聞くところによると、県内の教務主任会では、二年ほど前から使われていたそうです。それにしても「シラバス」とは何か、見当もつきませんでした。早速調べたところ、語源はラテン語で、英語ではSyllabusと言います。日本語では、講義実施要綱、講義内容、達成課題等について記した計画書のことです。

 従来使われていたのは、年間授業計画書と言います。わが国では、明治期に「教授要目」と翻訳されて普及、定着しました。それが、平成十一年の教育職員養成審議会答申、平成十二年の大学審議会答申で「シラバス」が使われはじめました。なぜ今、年間授業計画書ではいけないのでしょうか。なぜ翻訳した教授要目をなじみのない「シラバス」に変えなければならないのでしょうか。理解に苦しみます。

 何気なく調べてみると、すでに教育現場では、日本語できちんと表現できるものが、カタカナ語になっています。

 例えば、学校行事に関するものだけでも、オープンキャンパス(学校開放)、インターンシップ(職場体験)、エコアクション(環境活動評価)などがあります。別にカタカナ語を使わなくても済むと思うのですが。また、県教育センター研修講座一覧でも、教職員のライフステージ、指導に生かすマルチメディアコンテンツ、コーディネーターが支える特別支援教育、アイキャン教材プロジェクト等々、次々に挙げられます。

 私はカタカナ語をすべて悪いとは思いません。しかし、日本語がこれだけ乱れている現在、必要以上にカタカナ語を教育現場に持ち込み、十分に理解されていないのにもかかわらず、分かったような顔をし、そのままやり過ごしてしまう現実を直視したとき、これでいいのかという思いを強く感じます。少なくとも教育現場では、まともな日本語を使うべきです。安易にカタカナ語を導入することは、日本文化を欠落させ、日本人としての誇りと尊厳さを失うことになってしまいます。

(上毛新聞 2004年11月3日掲載)