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「21世紀堂書店」経営 峰村 聖治さん(高崎市八千代町)

【略歴】早稲田大卒。書店経営の傍ら、子供の将棋教室を開く。店舗半分を改装した無料の貸しギャラリー「あそびの窓」を開設。元高崎市小中学校PTA連合会長。

子供将棋教室から


◎自分で考える習慣を

 M君が将棋教室に来たのは今年六月である。一人でぶらっと入って来た。中学三年生だと言う。不思議に思って聞いてみた。「何で今ごろ、将棋を習いたいの」「中三になったら学校で将棋が禁止になった。でも僕は今、将棋が指したいんです」「両親は何て言ってるの」「母親は反対だが、父親は好きにしていいよと言いました」。それでも、反対した母親が送り迎えをし、私に会うと「お世話になります」と、あいさつしてくれる。とても素晴らしいご両親である。

 よく、どうしたら将棋が強くなるのかと聞かれる。私は脳みそが汗をかくくらい自分の頭で考えろ、と言う。私は定跡とかテクニックは、あまり教えない。定跡は本を読めば分かることだし、テクニックは実戦を重ねることで身に付くものだ。今の子供たちは、先生がそういうことを教えてくれると思っている。それが、自ら考え、判断する習慣が身に付かない原因になっている。

 自分の頭で考えなくてどうする。それが分かっている子供には、私自身が気が付かないうちに定跡とかテクニックなど、私の知り得る限りのことを教えている。

 昭和四十三年の秋、私は中沢安造さんと出会った。縁側の日だまりの中で、中沢さんは将棋盤に駒を並べていた。「聖ちゃん、将棋指すかい」「はい、指します」「一番指そう」「お願いします」。最初の一番は勝たせてもらった。「強いね、もう一番指そうか」と、その後十番指したが、十番ともこてんぱんに負けてしまった。私は信じられない屈辱感に顔を真っ赤にし、むらむらと闘争心に火がついてしまった。

 その日から私は、毎日のように中沢さん宅を訪れた。日曜日は朝八時から夜十一時過ぎまで、ただただ将棋を指し続けた。二年ほどが過ぎた。若かった私は、中沢さんに勝てるまでに腕が上がった。そんなある日、「庭の一角に将棋道場を造ってあげる」と中沢さんが言った。私のために造ってくれたプレハブの道場には、高崎近辺の強豪が集まった。

 平成八年八月、子供将棋教室がわが家の一角にオープンした。かつて中沢さんは、子供たちに将棋を教えたいと言っていた。二十年ぶりに中沢家を訪れ、遺影に報告した。翌年九月、第一回高崎市小中学生将棋名人戦を開催した。多くの将棋愛好者や、子供将棋教室の父母の皆さんにお世話になった。

 あれから八年。たくさんの子供たちが将棋を習いに来た。第二回大会・中学生の部で優勝した埼玉の中村亮介君が今年四月、見事、プロ四段に昇段した。そして今月二十一日、高崎・乗附小学校体育館で例年通り、第八回大会を開催する。

 将棋は簡単に強くなるものではない。目先の成果を考えるなら、ほかに習い事はいっぱいある。本気になって思考に集中し、負けて屈辱に耐え、勝って自信をつける。この体験を通して、自分の頭でものを考える良い癖をつけることが、これからの時代を生きる子供たちにとって、今、最も必要なことではないだろうか。

(上毛新聞 2004年11月16日掲載)