視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
スバルテクニカインターナショナル社長 桂田 勝さん(太田市金山町)

【略歴】東京都出身。東京大工学部航空学科卒。66年富士重工業入社。米国ミシガン大高速自動車研究所客員研究員を経て、常務執行役員、技術研究所長など歴任。

日本初のWRC


◎ラリー文化を本県へ

 WRC(世界ラリー選手権)をご存じでしょうか。そのWRCと本県が切っても切れない関係にあることをご存じでしょうか。

 九月初旬、日本モータースポーツ史上初めてのWRCが北海道十勝地方で開催されました。前夜祭ともいうべきセレモニアルスタートでは、帯広駅前の目抜き通りが五万人の大歓声に包まれ、三日で延べ千五百キロ、競走区間四百キロの一般道では二十万人を超える人が目の前を走り過ぎる世界のトップドライバーに拍手を送り続けました。結果はプジョーをはじめとするヨーロッパチームを押しのけてスバルインプレッサが優勝し、それを祝して「君が代」とドライバー、ソルベルグ選手の地元「ノルウェー国歌」が広大な十勝平野に響く中、成功裏に幕を閉じました。

 世界自動車連盟のモータースポーツの中で、世界選手権はF1とこのWRCの二つしかありません。WRCはF1とは対極的なもので、市販車をベースとした車で一般の道を使って速さを競うものです。中世のヨーロッパで事が起きたとき、騎士たちが馬で城に駆けつける速さを競ったことを起源とする、ヨーロッパ文化の一つであります。

 一月のモンテカルロラリーから十一月のオーストラリアラリーまで十六カ国を転戦しますが、野を越え、山を越えての戦いとなることから、その国の文化を背負ったものになります。モナコの宮殿、ギリシャの神殿とエーゲ海、ドイツの古城、オーストラリアの広大な土地等、また地元ボランティアの人々との触れ合い、見物客、レストランでの食事、小さな村々のたたずまい。これこそがWRCであり、地域文化のにおいの全くないF1との違いです。

 WRCは、F1と比較して大規模でテレビ放映が難しく、ヨーロッパ以外での人気はF1に及びませんでしたが、近年、GPS(衛星利用測位システム)、IT(情報技術)等がテレビ技術と結び付き、全世界で大変な人気になってきました。昨年のデータによりますと、WRCのテレビ視聴者数が百八十六カ国九億千八百人、現地観戦者は計九百八十万人で、ヨーロッパではF1をしのぐ人気であり、世界で最も多くの観客を集めるスポーツとなっています。北海道でのWRCに対する人々の反応を見ると、ヨーロッパの国々に負けず劣らず、日本でもWRCを渇望していたのがよく分かりました。

 昨年度、WRCの年間チャンピオンの車は太田市で作られたスバルインプレッサですし、現在WRCで活躍している唯一の日本人ドライバー、新井敏弘選手は伊勢崎生まれの群馬大学出身で、今も伊勢崎を根拠地にラリー活動をしています。一九五九年、上州で第一回が開催された日本アルペンラリーは日本で最も歴史のあるラリーでしたし、いま若者に人気の漫画の舞台は県内の山岳地帯であります。群馬は日本で最もラリーに近い県といえます。

 ヨーロッパ中心に発展してきたラリーが全世界に新たな文化として浸透しつつある今、群馬が日本のラリーの中心になれる絶好のときであると感じております。

(上毛新聞 2004年12月1日掲載)