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文芸評論家・筑波大学教授 黒古 一夫さん(粕川村女渕)

【略歴】法政大大学院博士課程修了。92年から図書館情報大(現筑波大)に勤務。大学院在学中から文芸評論の世界に入る。著書、編著多数。

デジタル社会


◎便利さの裏に深刻な闇

 時の首相が「IT(情報技術)革命」の掛け声をかけてからまだ五年もたたないというのに、今や世の中はパソコン(インターネット)や携帯電話、あるいは薄型液晶テレビの普及が象徴するように、IT関連の産業は隆盛を極め、人々の暮らしもかつてのアナログ時代とは違ったものになってきている。

 確かに、デジタル社会は便利である。仕事柄、出版社との原稿のやりとりや外国の知人たちとの通信にインターネット(メール)を使用しているが、どんなに長い原稿や通信文でも国内外どこへでも瞬時にして届けてしまうメールは、相手に確実に届いたのかどうか、いつも不安がつきまとっていた遠距離郵便や航空便時代を考えると、まさに「夢の時代」が到来したかのように思える。e―ビジネス、e―コマース(電子商取引)、ネット・オークション等々、ひたすら「便利さ=効率」を追求してきたデジタル社会には、ここまで来たか、と思わせるものがある。

 そんな現代にあって、小さい時からテレビゲーム機で鍛えられた若者たちは、通勤電車の中はもとより歩きながらも巧みに「メール」を打ち続ける姿からも分かるように、いとも簡単に時代の流れに乗ってIT社会を謳歌(おうか)しているように見える(彼らに遅れてはならずと、最近では中年のおじさんやおばさんも携帯電話でメールが打てることを自慢するようになってきた)。

 しかし、そのように「便利」になったこのデジタル社会は、果たして本当に住みやすい(生きやすい)ものになったと言っていいのだろうか。疑問がないわけではない。昨今頻発している小学生や中学生による凶悪犯罪は、バーチャル(幻想的)な世界になじみすぎた人々が、現実と虚構(バーチャル世界、ゲーム)との境目が分からなくなった結果ではないのか。どんな人間も自分と同じように熱い血が流れる存在であることの認識が希薄であるがゆえ、いとも簡単に人の生命を奪ったり傷付けたりできるのであろうし、それができない人間は自分の世界に閉じこもって(引きこもって)、他者との関係を切断せざるを得ないほどに追いつめられる。

 昨年から今までで五十人を超えるという「集団自殺」は、図らずもこのデジタル社会の「闇」がいかに深いかを教えてくれた。見ず知らずの他人同士がネットの呼びかけに応じて集団で自殺する、ここから想像できるのは親や兄弟はもちろん誰も相談相手がいない「孤絶」した自殺者の姿である。かつて、この社会にあった「共同性=助け合いの精神」は、どこに消えてしまったのだろうか。近くに住む二人の孫の顔を見ていると、デジタル社会の「便利さ」を享受しながらも、果たして本当にこれでいいのか、と思わざるを得ない。

(上毛新聞 2004年12月6日掲載)