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建築家・エムロード環境造形研究所主宰 小見山 健次さん(赤城村見立)

【略歴】東京電機大工学部建築学科卒。前橋都市景観賞、県バリアフリー大賞など受賞。著書に「1級建築士受験・設計製図の進め方」(彰国社)がある。

「終の棲家」を創る


◎安心して託せる環境を

 スタッフ六人ほどの小さな建築設計事務所を主宰しています。〈建築とは人と環境とのかかわりを形にすること〉と思い続けてきましたが、時世でしょうか、このところ高齢者の環境を形にする機会が随分と増えました。二世帯住宅や高齢者夫妻の住まいだけでなく特別養護老人ホーム(特養)の計画や、そのサテライト施設として注目される小規模多機能ホーム計画のお手伝いなどもさせていただいています。

 老齢の時期を快適に過ごすための住まいや施設の在り方はさまざまですが、それらを計画する上で本当に考えるべきことはデザインや環境性能だけでなく、その構造やデザインの向こうにある社会事情や家庭事情を的確に把握しながら計画すべきことです。住宅の計画一つをとっても、お年寄りが家族とどうかかわるのか、そのかかわり方によって住まいの仕組みは異なります。

 家の中心である「居間」ですら、現代社会の中では〈一家だんらんのイメージ〉だけではとらえられなくなってきています。それぞれの事情で食卓に皆が一斉にそろうことなどなかったりするからです。お年寄りにとっては、それだけでも処遇が変わります。調査によれば、家族の中にいても一人で食事を取らざるを得ない高齢者の割合は六割を超えるそうです。

 数年前から始まった介護保険制度で「自立支援」や「在宅重視」が強調されているにもかかわらず、特養には入所待機者が殺到していて、施設志向は一向に収まりません。独り暮らしや高齢者のみの世帯も確実に増加していて、自宅で暮らせない高齢者が増えることでの施設志向は、さらに強まるだろうとも言われています。

 そんな現実を思うにつけ、老後の生活の場としての住宅や施設は、いかに〈人間的な暮らし〉を実現できる構造であるか、そうした場として在り続けられるか、という視点で創(つく)られるべき建築であることが見えてきます。これまでの施設は介護する側の都合で〈効率〉を最優先する形でのみつくられてきました。それでも自宅より施設での介護が望まれたのは、理想的な家庭環境ばかりではないという単なる比較論からでした。

 昨年から始まったばかりの新設特養に義務づけられた〈ユニットケア方式〉では全室が洗面・トイレ付きの個室、六人程度のユニット(共同生活単位)で構成され、そこでの生活のさまざまな場面から「一斉に○○する」という概念が排除されています。食事も入浴も日々の日課も、自分の体調や意思で自由に調整できるのです。

 これまでの〈収容所〉的な施設ではなく、自分らしく、他人に気遣うことなく安心して暮らせる〈生活の場〉が目指されています。むしろ〈個人の尊厳〉を守るためには当然、実現されてしかるべき環境でした。年老いたとき、自宅か施設かと比較することなく、同等に「終(つい)の棲家(すみか)」として選択でき、安心して身を託せる環境を実現しなければなりません。そんな社会を創るためには建築が果たす役割も甚大でしょう。あらためて建築家としての職責を思うこのごろです。

(上毛新聞 2004年12月16日掲載)