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県埋蔵文化財調査事業団調査研究部長 右島 和夫さん(境町女塚)

【略歴】群大教育学部卒、関西大大学院修士課程修了。県教委文化財保護課、県埋蔵文化財調査センター、県立歴史博物館など経て、03年から現職。群大、専修大講師。

縄文人の子育て


◎独立へ愛情と厳しさ

 原始・古代の土器づくりは基本的に女性によって担われてきたと考えられている。現代でも、自前で作った土器で生活を送っている世界の民族事例は、女性の場合が多い。

 縄文時代の遺跡を調査すると、たくさんの土器が見つかる。同じ時期の土器を比べると、たとえ大きさや形は違っても、共通した文様のモチーフで飾られている。さらに、前後する時期の土器を比べると、両者は大変よく似ていて、ちょっと見ただけでは違いが分からない。実際は、時の経過とともに少しずつ少しずつ変わっているのだが。そこには、母から娘へ、さらにその娘へと土器の作り方がしっかり伝えられたのが分かる。

 縄文土器といえば、時代を超えて現代に通じるような見事な文様で飾られた造形物といったイメージが強い。そのことを疑う余地は少しもない。ただし、それはたくさん出土した土器の中から、特に優品が選ばれて博物館に並べられたり、写真集などを飾っているからである。もちろん、展示されない土器の中にも優品はいくらでもある。

 ところで、同じ住居跡から出土する土器の中には、これらの見事な出来栄えの土器とともに、ちょっと不格好で不出来のものも交じっている。母親が土器づくりをする横に座って、一緒に作っている娘の姿が目に浮かぶ。

 同じ時代、狩猟の仕事は男性の役割だった。その道具となるヤリや石鏃(せきぞく)(矢の先端に付けられる)もやはり自分たちで製作したことは明らか。そのほかの石器も含め、これを作るのは男性の仕事だった。石器づくりには高度の技術力とともに腕力、瞬発力が必要とされたからである。その技術が父から息子に、さらにその息子にと伝えられていったことも、やはり明らかであろう。

 狩りもまた、チームワークと技術力を必要とするものである。足手まといになっても少年を一緒に連れて行き、少しずつ技術を伝えていっただろう。海辺に住んでいた縄文人の場合は、漁労の技術が伝えられたのだろう。これまた、足手まといの息子の面倒を見ながら、父親は漁にいそしんだのである。

 縄文人は、その子供たちと生活をともに送る中で、将来、独り立ちして生きていけるためのあらゆる技術、思想を肌身で教えていった。子育ての原点はここにあるし、教育の本質もまたここにあるように思う。その底流にあったのは、親の子に対する愛情であったろうし、そのための厳しさであった。将来独り立ちしていけるようにと必死だったから。

 こんな子育ては、なにも縄文人だけの独占物ではない。つい、ひと昔前まで累々と伝えられてきた子育て法だったはずだ。現代の子供たちを取り巻く環境は、経済的には恵まれているが、教育的(子育て)には必ずしも恵まれているとは言えない。その起点となるのは親子。縄文人の子育ての中から学べることも多い。

(上毛新聞 2004年12月20日掲載)