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太田市文化協会企画部長 武正 菊夫さん(太田市石橋町)

【略歴】演出家を志し英国へ留学、ピーター・チーズマンに師事。帰国後、劇団「円」を創設。芸術大学講師の傍ら、高校生ミュージカルに尽力。太田市文化奨励賞。

太田市文化祭を終えて


◎演者の内面に尊厳が

 九月から始まった「おおた芸術文化フェスティバル2004」が、今月の大学ジャズフェスティバルで終了しました。四カ月にわたり、芸能部門、造形部門、文化部門の三分野で五千人以上の発表者があり、延べ二万人が鑑賞したとされます。

 この大事業を調整し、バランスよく会場の振り分けや設定をするのが、各部門の代表を務める文化協会の役員です。五十以上の団体をまとめるのはなかなか大変で、今年も社会教育総合センターのレクリエーション室での会場取りと発表日決めでは緊張した空気がみなぎり、多くの意見が出て、白熱しました。

 芸術部門では演劇、音楽、舞踊など部会ごとに話し合いが行われ、壁に張り出した大きなスケジュール表に希望日を書き込み、全員で見て公正を期します。

 造形部門も美術、手工芸、書道、華道などの展示会場の調整が難航し、文化部門では茶道、俳句短歌、囲碁将棋などの日にち設定が真剣に話し合われ、合意されるのです。

 何といっても十月中の土日が発表のメーンになるので、発表予定日はぎっしり詰まり、会館の全室ともフル活用となって、展示作品の一部はロビーにあふれるほどです。

 この期間、舞台では各派各種の芸術が朝から次々と披露され、客席の出入りもひんぱんになります。本来、観客席の移動は発表者にとって困りものですが、常識論は通用しません。そのため、袖幕の中にいて慌ただしいマイク出しや紹介アナウンスなどに携わる立場としては、かなり複雑な思いを抱いてしまいます。確かに、この状況はカルチャーという範疇(はんちゅう)に入ると思われますが、アートと同義語にくくるのは無理があるようなのです。

 私自身が演出家として培った舞台表現のノウハウと一線を画してしまい、ホール全体が、ある種の強力な磁場になって、引きつけたりまた放出する独特なエネルギーが支配し、進行しているように思われるのです。

 アートに求められる心の高ぶりや深遠な考察ではなく、手に負えないほどの奔放な息づかいが舞台上にあふれています。

 それにしても、演じた後の達成感や充実感は大変なもので、ご高齢と思われる発表者に注目していると、明らかに脱日常的空間に入り、自由にはばたくような印象を受けます。

 その姿はもうアートそのものであり、感動的でもあるのです。見つめる者の視点が定まると、カルチャーとアートの境界は消えるのでしょうか。表現以上に演者の内面を見据えると、人間の尊厳という核心が伝わって気持ちが波立ちます。

 行政と市民が連携して作りだす大イベントの文化祭ですが、最近よく言われる芸術文化という表現も、客観的に見たり素通りしたりするのでは本質が分からないでしょう。作品の裏側まで入り込めば必ず発見があり、めくるめく感動が味わえるはずです。

(上毛新聞 2004年12月28日掲載)