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スバルテクニカインターナショナル社長 桂田 勝さん(太田市金山町)

【略歴】東京都出身。東京大工学部航空学科卒。66年富士重工業入社。米国ミシガン大高速自動車研究所客員研究員を経て、常務執行役員、技術研究所長など歴任。

日本の自動車文化


◎味わおう身近な楽しさ

 一八八六年にドイツのダイムラーが世界初のガソリンエンジン車を造ってから百二十年ほどになります。初めは馬より速く走りたいという欲望の発露から、少しでも速く走るための技術を競い合ったことでしょう。現在の自動車技術のアイデアは、ほとんどこのころには出現しています。この技術競争のエネルギーとヨーロッパ貴族の遊び道具としての一面が相まって、車文化が花開き発展しました。一八九四年には早くもパリ―ルーアン間百二十八キロの初の自動車レースが行われています。

 一方、日本の車の歴史は、戦後の復興期を過ぎた一九五〇年代の国民車構想としての軽自動車や六〇年代中ごろの大衆小型車の登場、七〇年代から始まり八〇年代の日米自動車摩擦に到る輸出の時代、九〇年代のバブル崩壊や環境問題を経て、今世紀新たな車の時代に入りつつあります。

 自動車には、(1)経済・産業(2)人や物を運ぶ道具(3)自動車文化そのもの―の三つの側面があります。自動車は一貫して日本経済のシンボル的立場でした。それゆえに市場原理にかなう「安くて壊れない車」、また道具として「効率よく物を運ぶ車」を造ってきました。その結果、世界的に見て日本は、個性も面白味もない車造りをしてきたと感じています。

 一方、第三の側面は、車を持っていることのうれしさ、ドライビングの楽しさ、車をいじり回すことの喜び、車のスポーツ性といった人と車の通い合いの面です。車の発展過程の違いによるのでしょうか、ヨーロッパと日本の車文化について著しい違いを感じています。

 私事ですが、ドイツに試作車を持ち込んでテスト走行した時、知人の一般農家の庭先にある納屋を使わせていただきましたが、そこには土間を掘った整備用のピットがあり、壁にはピカピカの自動車用工具が並んでいました。この農家の人は、多分いつもここで車いじりを楽しみ、自ら運転を楽しんでいたのでしょう。また、WRC(世界ラリー選手権)で世界を転戦しますと、必ず子供の手を引いた家族が大勢サービスエリアに集まり、一日中プロの動きを飽きずに見続けます。このように生活の一部になった車文化の深さに、いつも驚かされます。

 世界第二位の自動車生産国であるわが国は、これから安全で環境に優しい車造りに全力を注ぐ責任がありますが、加えてより魅力のある楽しい車を造る努力が必要です。そして車を運転することに楽しさを感じたり、もっと毎日の生活に身近なものとなる環境を整えたりするときでもあります。

 本県の車保有率は一・二人に一台と全国でもトップレベルにあり、車を一番身近に感じられる県の一つです。また、自動車の運転を楽しむのに適した地形・気候ですし、既にモータースポーツが盛んです。今後行政と県民が一緒になって、例えば、車で好きに走れる場をもっと造ったり、自分の車を自分でいじれるような設備を提供したり、誰もが味わえる身近な楽しさに気付けるような全体の仕組みを作り出せば、日本の自動車文化の中心になれるのではないかと感じております。

(上毛新聞 2005年1月31日掲載)