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万座スキー学校長 黒岩 達介さん(嬬恋村干俣)

【略歴】高崎高校中退。オーストリア国立スキー学校に留学。帰国後、万座スキー学校を創立、校長に就任。日本職業スキー教師協会常務理事などを歴任した。

高校生のスキー実習


◎自然の試練を深く刻む

 暖冬と予想された今冬だが、当地は正月早々から吹雪となり、冬型気圧配置となって降雪、そして吹雪と次第に荒れ模様となる日が続いた。そんな状況下で、天気を心配したり期待しながら、窓の外の様子をうかがう日々が続いている。というのは、ここ二週間余り、高校生のスキー実習の指導を担当しているからである。一回の生徒数は三百人から四百人で、大抵の高校は雪なし県からの参加で、実習期間は三日ないし四日である。

 今冬はなぜか、指導期間中に必ずといってよいほど猛吹雪の日が交じった。ただ今も氷点下一○度という猛吹雪の中での実習が行われている。立場上、さまざまな状況、条件の中でスキー指導を経験しているが、生徒側の立場に立って常に状況判断しなければならない。

 先月のことである。気象の急変とも思われる烈風が指導中に吹き荒れ、何人かの学生がなぎ倒された。一時、ヒュッテに避難したが、学生たちの要望で再び、猛吹雪の中に出てレッスンが継続された。折からの強風でリフトの運行は止まってしまっていたが、学生たちは元気よく、一歩一歩雪を踏みしめながら斜面を登り、練習に励んだ。

 ヤッケのフードをかぶり、ゴーグルをかけた学生たちのほおは赤く、ややはれているように見えたが、厳しい自然の試練に真っ正面から立ち向かう姿勢を見て、感動を覚えずにはいられなかった。いつの時代にも「今の若い者は…」と言われがちであるが、そんな概念が一蹴(いっしゅう)された思いがした。

 彼らが、たまたま高校一年生であったから、特に強いインパクトを私に与えてくれたのかも知れない。というのは、私が同じ年齢の冬休み(昭和二十七年十二月)、両親に相談事があるため雪の降りしきる中、生まれて初めて信州・山田温泉から万座温泉まで約十五キロの登り一方の道程をスキーに荒縄を巻いてツアーして帰ったときのことが、よみがえったのだ。

 途中、何度かくじけそうになったが、老齢のガイドに叱咤(しった)され、命からがら両親の元にたどり着いた思い出と、翌日、快晴に恵まれた白銀の世界にスキーを踏み入れた時の感動がオーバーラップしたように思えた。当時、私は高崎高校のサッカー部でレギュラーを務めていた。

 四百人もの高校生の行動に接していると、学校における教育(学習・訓練)がきちっと施されているに違いないと敬服する。彼らは厳しい自然の試練を心に深く刻み、強く生きる力をさらに養い、それを自然の恩恵として学び取ったに違いない。

 最終日は快晴の天候に恵まれた。青空の下に白銀の世界が広がった。山頂から全生徒が、インストラクターに従って滑り降りる光景は、真に私たちの使命ともいうべき、スキースポーツの喜びを一人でも多くの人たちに分け合う状況そのものであった。

 その役割を無事果たせた喜びと、生徒たちの学習成果を目の当たりにすると、万感胸に迫るものがあり、感慨無量な時が流れていくのを感じる。

(上毛新聞 2005年2月5日掲載)